(下記写真は産経新聞より)
(下記写真は毎日新聞より)
(維新の会支持率内訳)
■まず勢力図が維新の会が読みずらいので記しておきます。
@府議会
40議席→51議席、定数88、占有率57.79%
@市議会
36議席→40議席、定数83、占有率48.1%
自民は-2、公明は-1、共産-5、無所属ブラス1、その他当選なし。
■得票率は、府選の維新得票率50.72%
市選の維新得票率47.16%
今回面倒なので、地域別得票数は省く。また年齢別はマスコミは取っていないようなので不明。後にこの年齢別得票構成が物議をかもすので注意しておいてください。年齢別は不明です。
ます゛この選挙がなぜおこなわれたかを確認しておきましょう。
都構想に関する維新の会と公明党の密約が決裂したため、両党の内ゲバとして突入した。有権者が望んだわけでもなんでもないのです。
両党とも、与党延命と来る選挙事情を抱えて、有利に延命したいという、党利だけの身勝手なものです。行政の私物化も甚だしいといわざるをえません。
しかも、都構想自体は、橋下市長時代に否決され、橋下は「一回キリ」だと述べたはずです。それが密約ではまた進めるということになっていたのです。
この点をTV番組で橋下は指摘されて、自分が言ったが、松井・吉村が言ったわけではないから何度でもやる、としゃあしゃあと開き直っています。
別の党がだすのならまだしも、同一与党がそのように一貫性を欠くことは政治の信憑性を欠き、政治の質を落としてしまいます。人は一貫性に於いて信頼は醸成されます。人が毎日毎回ころころ言うことが変われば、同一人物として認識できず、その人物を誰も信用しなくなるはずです。これが近代知性における客観性として信頼を担保している基本原理なのです。
橋下は弁護士なのに、近代法が組織や団体になぜ法人格という概念を設けているか知っているはずです。にもかかわらず、平気でこういう原理からの逸脱を、法律に触れなければいいのだとばかりに撹乱します。
この近代社会構成に関する原理を無視する反知性主義が橋下の特徴ですが、こういう基本的問題に大阪人は極めて不感症です。ご都合主義、出まかせ、論点ずらし、自己正当化のためには法に触れなければ駄々っ子のように何でも投げつけます。法律以前に、当の法律を根拠づけている近代の普遍原理(自由・平等・人権など)が遵守されなければなりません。
これが欠けているのが維新の会の特徴です。
さて選挙結果です。
おそらく松井新市長の談話からも伝わってきますが、維新自身がこれほど勝てるとは思っていなかったでしょう。
選挙自体は、確かに維新は頑張った、野党は不意を突かれてまったく太刀打ちできていなかった。
この既視感のある選挙は、2015年のやはりW選挙の構造と同じで、今更分析するつもりはありません。筆者のブログで「2015年、大阪W選挙」で検索すれば読めますので興味のある方は読んでください。
キーは都構想の二重行政です。
これも粗雑すぎるという観点から、拙速は禁物、とりあえず反対の立場から何回か書いていますから捜してみて下さい。改めて選挙と絡めて一つだけ。
以前にも書いたが、都構想は知っている人は増えたが、内容までを把握し、「法定協議書」を読んでいる府市民は少ないでしょうから、維新の政治の評価と「都構想の期待感」がないまぜになって評価された結果だろうと思います。
大阪府市民は、あれだけ人権侵害や右翼教育や高校教育の差別分断化や森友学園極右教育を仕掛けても支持しているようです。
瑞穂の國小学院ができる過程で、豊中市の維新の会府議が関わり、松井府知事が認可しやすく事業者の債務比率を低く法律改定し、事務方を使って強力に認可誘導した事実はもう忘れたのだろうか。
籠池泰典氏は国会証言において、山本太郎議員の二度にわたる「一番悪いのは誰か?」という質問に、二度とも「松井知事です」と答えました。
豊中市民は今回府議会へ維新の会から一人増やし二人当選させたが、自分の町にいかがわしい団体のメッカを作ろうとした維新の会をお灸として落選されるならまだしも、増やしたことはまったく解せないのです。
こういう特定のイデオロギー団体ができると、市の格式は下がり、たちどころに不動産物件などの評価額が下がり、お金持ちほどダメージを受けるのです。
木村真市議らの活躍がなければ、豊中市はダーディシティーとして表象されていくとこであったのです。みごとに木村市議ら市民が救済したのです。
事実、東京の友人らは、豊中市のことなどよく知らないから、ああ橋下とか籠池とか問題になっている右翼の多い処だろう、などと言います。阪大のある文教都市だとか、住みたいまちNO.1だとかは過去の表象になってしまっています。
だからここが私はよく解らなかった。
新聞もテレビもほとんど視ない私は、勝利に酔うコアな維新支持者のネットコメントを追い質問や批判を取り混ぜながらある程度の理解をたぐり寄せました。
維新の会支持者のボリュームゾーンは40代以下とのこと。
多くが若い層で、現役世代です。確かに若い層は多かったが今回さらに増えています。この現役世代が、都構想=二重行政というワードに反応するのは、企業内合理化イメージであり、都市論と混乱しているとして以前もこのブログに書きました。
今回それは別にして、維新の政治と自公という右派と保守の利権相克のレベルでしか思考が及ばなくなってしまっている問題です。
この現状肯定の背景は2つ考えられます。
若年労働者の就労環境が、売り手市場になって就職戦線が好転している。プチいい時代感覚。
同時に人手不足で2、3年前より最低賃金が守られ、現場の賃金が僅かですが上昇傾向にある。
(これは介護職の知人らも、30%アップの証言を得ている。もちろん企業差はあるだろう。)
また数日前に日銀が「地域経済報告」4月分を発表したが、大阪は「ゆるやかに回復」と指標を発表しており、まあまあ景気がよくなってきているわけです。(東北以外は全て回復、大阪だけではない)
これにTVで維新ヨイショの番組や芸人に毎日接していれば、十分維新ファンになるでしよう。大阪では、橋下や維新の会はメディアが用意しメディアが作り上げてきたわけですから他地域の人には、その異常さ、激しさは想像できないでしょう。現状肯定にならない方がおかしいのです。
とはいえ、50%の投票に不参加の人たちもいるわけで、若者の無投票比率は多かったと推測します。
また実質賃金は下がりっぱなし、社会保障の税負担は重くなるばかりで、
非正規社員、引きこもり、ドロップアウトなど、ネオリベの20年間である意味作り出された社会的弱者たちも多く、決して現状肯定しているわけではなくても、選挙では「沈黙の現状肯定」=維新幇助に陥っている人びとです。社会的に実存主体として登場しにくいが、何も考えていないわけではない。ここが微妙です。
この「発言する支持」と「沈黙の現状肯定」は、精神的にみれば現状に満足しきっているわけでもなく、閉塞感に満たされていることは十分推測できます。
その閉塞感が、一種の劇的な変革を期待させ、維新のスローガンである都構想=二重行政に釣り上げられたとみていいでしょう。
どこの地域でも維新の政治程度のことはやっているわけで、都構想というフックがなければ選挙民の7割近くもが漠然と支持はしないはずです。
都構想は本来無用になった維新の会の存在証明であり、究極の延命策なのです。
実際、東京の日本維新の会も含めて、維新候補者は全地域で落選しました。滋賀県などは候補者すら立てられなかった。都構想のスローガンがなければ、そんなものなんです。大した政治団体ではない。
そんな都構想自体が、いかに杜撰なものか改めて最も肝心な点だけ指摘しておきます。
(1)効果算定の140億円は二重行政解消によるものではない。
ネオリベ政策による、ただの民営化(公的財産売り飛ばし)や民営委託
によるものであります。新特別区では経済効果はゼロです。
これは立命館大の森裕之教授の指摘(「世界」19年4月号)です。
(2)新特別区の権限はほとんどなくなるでしょう。
日本は地方分権改革という流れをつくっています。東京都の場合、都の
徴収税事務負担を区が受け持っており、徴収金の55%しか区に戻りま
せん。(区が都の事務の下請けをさせられている)
また、都市計画決定権は、特別区のみ外され、街の戦略指針さえも、
一番住んで知悉している住民が権限を持ち得ていません。全て都が立案
決定します。
従って、88万人の大都市世田谷区でさえも、学校の教員人事権さえ
与えられていないとのことです。ほかにも、普通の市よりも権限が奪
れてしまうことは意外に知られていません。
政令都市を返上して、今の大阪市民は、(全大阪市町村)分の(一特
別区)となって、行政が打てば響くようになるでしょうか、筆者は
否定的です。権限の所在は特別区住民から遠ざかり府に集中し、この府
は府下全域をにらみながら予算も事業立案も、従来の大阪市よりも遥か
に広域のなかで、一特別区としてみる状態になります。
いずれにしても、東京都が戦時統制で作られました。上から統制しや
すくするだけの目的のためです。戦後特別区はみんな普通の市に戻せ、
と自治権拡大運動をして、曲りなりに今の区長公選制は75年、基礎
自治体の権限を手にしたのはなんと2000年のことです。
ということで、かねてより筆者は、①果たして特別区は、基礎自治体として事業起案権を得ることができるのか。②二重行政だといいながら区に都の事務を被せる新たな二重行政が生まれないか。③4特別区に、従来ある区ごとの病院諸福祉施設は残されて、より快適な住民生活が保障されるのか、とくに維新はネオリベを本質としているから再編統合=統合=減少という方向に向かうのではないか。
事実市大と府大は統合された。東京など国立、都立、私立、三重行政なのに大学を統合して減らせなどとは言わない。大学が都内に三事業体別にあっても三重行政などとは言わない。維新の会は奇妙な事を言っているわけです。
そもそも、企業でもデュアルシステムが基本の統括概念になっているのに、単一独裁体制化へ進み、行政の安定的運営を逆行させる発想が理解できない。
理由が財政悪化にあるというなら、市はここ税収は伸びて黒字化、府は赤字。どっちが悪いんだ?悪い方が財政を伸ばす政策をすればいいのです。
近年、大阪から京都と兵庫に企業が逃げていく、また両県は企業誘致に成功して、兵庫の先端医療都市、京都のIT世界基地、だが大阪はバンパクとカジノか。これで持続的な税収拡大につながるのか。ましてカジノはトランプの友達外資だから大方利益は持っていかれるでしょう。いかにもみすぼらしく、周回遅れの箱物でしかないのです。この程度なら自民党だってやるでしよう。事実両事業とも安倍さんに手配して貰ったものなんですから。
さて、筆者は、維新の会の都構想がいかにレトリックにすぎない古い手口かを最後に指摘しておきます。そして若者がこの種の思考法に魅力を感じる危険性も。
都構想=二重行政は、オカルト宗教であるということです。
すなわち、宗教的千年王国論なのです。キリスト教やロシアマルクス主義(マルクス思想ではありません)なのです。
いまの世界の不幸は、イエスが再臨して最後の審判によって全て解決する、だから天国いけるのです。したがって最後の審判までは現状を変える運動をし、苦しいことは耐え抜いて、この地上ではひたすら信心のない者を呪詛して、最後の審判=都構想の暁にはすべての幸せが達成できる、という思考法です。
革命も、革命によってガラガラポン、すべての抑圧と不幸は取り除かれる、それまではこの世で忍従あるのみ、幸せなど願っては党・労働者に背反するとして、敵資本家を攻撃しバラ色の未来を夢見せてくれるのです。そこに自己と世界の透徹した考察はなく、イデオロギーに仮託して自分の不全感と社会的制度問題を短絡される幼稚な集団が生まれます。
といいつつも、若者の何か超越的なものに乗りたいという心性を否定はしません。とことん精査した上ですればいいのです。
そして、あなた個人と、都構想がどこでつながるのか。
都構想実現が、そのままあなた個人を幸せにするとは限らないのだ、或いは誰かを不幸に突き落とすかもしれないという自覚をもっていることが大切だろうと思います。
老婆心ながらいえば、日本は曲りなりに成熟社会に達っし、複雑な社会となっています。
ワンイシュー(革命的言辞)で、コロッと変わるイデオロギーでは対応がつかないと思います。一つづつ、もつれた糸を解すように熟慮して歴史の「連続性」の上に調整して積み上げていく方法が、問題解決としては正確度が高くなると思います。
最後に筆者の見解です。
この効果試算は眉唾ものではないか、
ネオリベの内向き改革でやる財政再建は、不幸になる、
特別区は基礎自治体として、事業起案権などを確保できるのか、
都の事務を負担させられる特別区の側に下請け事務労働のしわ寄せが発生しないか、
維新の政策には、財政拡大政策がみえない、
以上につき維新の都構想には反対です。
いや都構想を実現するとしても維新の会では反対です。
やるなら都市建設の専門家の諮問委員会をつくって、市民のプロジェクトをリンクして、維新の会(ネオリベ)以外のオール大阪政党連合としてやります。
これは一つの党派がもてあそぶものではない、全府市民の利害の問題だからです。
蛇足ですが、橋下徹が維新勝利の原因についてTVで次のように述べました。
「都構想に反対している年配の人がどんどん死んじゃったんですよ」
おいおいどこにそんなデータがあるんだ?
2015年の都構想住民投票に敗北した時も、老害だと騒ぎ、田原総一朗までがマスコミと一緒になって喧伝した。
確か「LITERA」だったかが計算してみて、20代30代女性なども圧倒的に否定しており、全体の計算で老害論が真っ赤な嘘だったことを証明していました。
今回も、わずか5年足らずで、どれだけの老人が死んでしまったのか数字を示して欲しいものだ。むしろ老人は増えているはずです。
増えているから経費がかかって困るから、橋下は府市のコストカットをしようと都構想をだしたのではなかったのか。
しかしこういうデマは、大阪人の大好物、人を腐す、欠点をあげつらいいじる、どつく、これが吉本お笑い芸の基本で、大阪人はこれが出ないと受けないのです。
老人の筆者は、一貫として老人を害悪だと罵(ののし)ってきた維新の会に同調することはないでしよう。
恣意的に役立たず、ごくつぶしだと老人や弱者を攻撃する「俗悪」は、眼に見えないまま、秘かに人間の荒廃を漆黒の闇とともにもたらすからです。
ながながお読みいただきありがとうございました。