池田浩士氏講演録「橋下(ハシズム)とファシズム-『国民』はなぜ支持するのか?」

この講演録は、2011年11月2日「傲慢・危険・無責任な橋下政治(ハシズム)を許さない!11.2講演学習会」(主催講演学習実行委員会)において行われた講演録です。
まとめは管理人俳愚人です。
なお、池田氏のレジメは青色で、管理人の要約はスミで、表記しております。

はじめに
歴史は繰り返さない。だが、歴史は想像力をかきたてる。
そして、想像力の貧しさこそは、この現実の貧しさの根源である。

1.ドイツ・ファシズムの歴史から

1)ヒトラーナチスは 誰を真っ先に弾圧したか?
(1)「第一聖書研究者」(1870年、アメリカで創立)
    →明石順三が日本支部灯台社」設立(1926年)、冊子「ものみの塔
    →「第一聖書研究者」が「エホバの証人」と改名(1931年)

ナチスは国民社会主義(National Socislism)のこと。ファシズム運動が発生したのは19C、国家統一後イタリアで興る。日本ではちょうど明治の自由民権運動が発生してくる頃、シチリア島で興る。農民ファッショと呼ばれる運動。それがやがて社会主義転向者であるムッソリーニによって、戦闘ファッショが開始され、どちらかというとドイツと比べると陽気な反体制運動となっていく。
ナチスは真っ先に「エホバの証人」というアメリカで発生したキリスト教系の宗教を弾圧する。日本には明石順三が日本支部灯台社」を設立して冊子『ものみの塔』を配布して日本で布教、いまでもしつこく自宅訪問に布教にくるあれです(笑)。

(2)1933年1月30日 ドイツでアードルフ・ヒットラー(Adolf Hitler)政権発足。
    ①6034人    ②5911人    ③2000人以上

ナチスが1933年1月に政権をとります。そのとき「エホバの証人」の信者は①6034人。ところが二、三月後②5911人が逮捕されている。さらに数か月後③2000人以上が虐殺されている。
ナチスは、記録ずきで自分たちのしたことを克明に記録しており、この数字は間違いのないものだ。

 (3)「エホバの証人」をナチスはなぜ恐れたのか?

    ①輸血を受けない。
    ②国家儀礼を受け付けない
    ③国旗・国歌に敬意を払わない、歌わない。
    ④兵役拒否
    これらはナチス政権にとって不都合なものだった。


2)「独裁者」は まずどこで権力を握り、まず何をやったか?

(1)ヴィルヘルム・フリツク(Wilhelm Flick 1877.3.12〜1946.10.16)

1923.11.9のミュンヒェン・クーデターに参加して禁錮15月の刑
      
1924年、ナチ党(「国民社会主義解放運動」)国民議長団

1933年1月30日、ヒトラー内閣の法務大臣(ナチ党からは、ほかに無任所相ゲーリンクだけが入閣)

1933年10月1日、ニュルンベルク国際軍事法廷で死刑判決
当時のドイツの地方政治は州単位に首相がいて、独立した自治を行っていた。ミュンヒェンでクーデターを起こしたが、その首謀者がヒトラーの片腕フリックだった。その事件で彼は15か月の禁錮刑をうける。チューリンゲンの地方政治では、法務と教育大臣を兼務し、ナチスが法と教育を掌握して独裁体制を作り上げる基本のスタイルをとなる。
その後ナチ党国会議員団議長に就任。ヒトラー政権ができると法務大臣に就任する。ヒトラー法務を重視し、そこから次々に自己都合のいい法律を作っていく。また無任所相にゲーリンクを入閣させた。ナチ党からはこの二人を入閣させるのがやっとの小党であった。
重要なポイントは、ファシズム運動は地方政治からでてくること、法と教育に執着しそこから徹底したファシズム体制をつくる点である。

(2)1930年1月23日、デューリンゲン州政府の法務大臣・教育大臣

→「ドイツの民族性を守るため黒人文化禁止条例」

フリックは法務大臣としてやったことは、二グロ文化を禁止するため、上記の条例を作った。そしてジャズなどの黒人文化につながるものを弾圧開始。
そのほか同性愛者、ジプシー、障害者等マイノリティへの弾圧抹殺。ユダヤ人だけではなかったことに注意。


2.「独裁」を歓迎した「国民」たち

1)「あの時代はよかった」という戦後の回想

(1)「よかった」理由─想像力欠如の上で
   
①失業がなくなり、生活が安定した
       ナチスが政権に就いた当時、完全失業率44.9%、パート30.1%、就業者は3人に1人というひどい状態。
二年後の1938年の失業率は1%未満に減少。このカラクリは大量のボランティアとして駆り立てた結果である。
当時の日当の1 /7という低賃金やその日のパンだけというこどいものだった。実態は強制労働に近いもの。
これが後に余剰労働力が不足する原因となり、戦争遂行のための余剰人員の不足を招きユダヤ人狩をして
強制労働へ結びついていく。       
②社会的差別がなくなり、平等が実現した
       ホワイトカラーとブルーカラーの格差を解消するために演出する。たとえば花トラックを作り、そのうえで両者
が乾杯させて平等幻想を演出するなど。

③やる気のあるものに昇進の道が開かれた
       能力主義による評価、登用など。

④秩序が粛清され、安心して生活できるようになった
       治安がよくなった、やる気のある人が率先して規律を徹底していく。

⑤ドイツ人であることの誇りが回復できた
       第一次大戦のあと、敗戦国のため悲惨な状態に置かれていた。・巨額賠償金の苦しみ、・自国文化の誇りを
喪失した無念さからの回復、など。

ドイツの敗戦後、あのユダヤ人大量虐殺の犯罪が明るみになり、ドイツ国民はその残虐な事実を知ってからもこのような結果をアンケートで過半数以上が回答している。ドイツ人にとって戦争前のナチスの最盛期を最もよかった時期として忘れられなかった事実は重く受けとめる必要がある。 

 (2)「強い指導者」─「信従する国民」

      ①閉塞感・被害者感情からの解放─「在特会」の土壌

      ②ヒトラーを先頭とする仮想敵との闘争共同体

      ③「共同体」の忠実な一員としてのみ価値のある人間

      ④「共同体」のために死ぬこと─それが永遠の生命を生きるこ        と

ファシズムを独りの独裁者の強権で押さえつけるイメージは間違い。改革と称して圧倒的な大衆の支持を得ていくことが特徴。ドイツの閉塞状況下、独裁者ヒトラーが過激な扇動でスカッとさせてくれる。橋下はなにかスカッとさせてくれる。ファシズムの特徴はさらに仮想敵をつくり、独裁者とそれへの「闘争共同体」を演出していく。その一員としてのみ価値があるという訓育。つまり橋下が同様橋下の敵に一体化する人間のみが正義として生命の喜びを感じ、敵を排除することで価値ある人間として認知される。能力主義はそうした社会に網の目のように貼られ、「下等な人間」は抹殺されていく。


2)ファシズム社会の「独裁」とは何か?

(1)ヒトラーは「民意」を問い続け、「民意」によって支えられ続けた

1983年3月13日、オーストリア(ヒトラーの出身地)併合

→4月10日、併合の賛否を問う国民投票
ドイツでは      99.08%
オーストリアでは  99.75%の賛成で併合が承認された

1938年は開戦の前年ナチスの黄金時代。失業率解消と国民の自国崇敬の念を満たした。この国民投票結果は誇張されたものでもなく事実だとみてよい。というのは当時のドイツの投票率は85%〜95%台にあったので熱狂の中の獲得投票としてはリアルに見てよいだろう。


(2)共闘する「国民」とマスメディア
     
     ①ナチスは政権獲得以前からマスメディアに党員を送り込んだ

     ②ラジオ放送、映画、新聞、出版そしてテレビの制圧

     ③いま、日本のマスメディアは「大阪維新の会」か?─否!

■ワイマール憲法下でナチは合法的に政権を取っていく。ドイツ国民の選挙による合法的政権であること。それによる多数派一色の怖さ。まぎれもなく選挙民に責任があった。
■フリックを法相に入閣させ、次々に新しい法律を制定。「ドイツ憲法基本法」で法律制定と解釈で従来の憲法を無効化し、最も民主的だといわれたワイマール憲法を踏みにじっていく。
ナチス政権獲得後五か月で他政党は消滅している。共産党の弾圧。過半数を取れなかった国会議員選挙では、共産党を登院させないよう妨害し、ヒットラーへの全権委任の法律を通して全権掌握する。
■予算編成権を議会から取り上げ政府が独断で決めることができた。
■条約は国会の承認なしに締結できる。議会は追認するのみの権限に貶めた。
立法権は議会から政府へ権限を取り上げたのだが、人種差別法(ニュールンベルク法)はナチ党の大会で決定し効力をもってしまう。政府さえ立法権がないがしろにされ、ナチ党員と国民の熱狂が人類史まれにみる残虐な犯罪へ国民が一丸となって突き進んだ。
ゲッペルスのたくみなマスメディア利用が、国民洗脳を担った。ナチはマスメディアに秘密党員を送り込んで論調をナチに有利に誘導し、反対派を封じ込めていった。これを可能にしたは背景は当時のドイツ国民の高い識字率、新聞の独占資本などの発達があった。ラジオ放送とテレビ放映はナチスが世界初である。戦後わかるのだが、あのブレヒトの盟友といわれたブレンネンはテレビ局へ送り込まれた秘密党員であった。
今のテレビは「維新の会」なのか?教育委員会へインタビューにいって、相手が答えるたびに橋下さんはこういっていますよねーと否定するコメントをいちいちするのたが、教育委員会の見解を正しく報道することがしごとではないのか?橋下の見解をぶつけて相手を否定するようなやり方は、問題であろう。
今のマスメディアの状況はナチス時代よりもっとぞましいと言わなくてはならない。それだけマスメディアは想像力を殺し殺伐としたものになっている。


(3)だから、いっそう大きい「国民」の恥辱と責任

    ファシズムは結局選挙民がつくりだしていくものである。想像力と    未来への思考を停止する国民の恥辱を自覚し、選挙選択の結果責任    を自らが負うということが大事だろう。
(完了)       

なお以下は数年前に管理人が書いた映画レビュー「ヒットラー最後の12日」。
参考に紹介し、DVDも出ているのでご覧になることをお勧めします。


[普通の人の向こうに─「ヒットラー最後の12日」]
映画としてはとてもよくできている。ヒトラー役のブルーノ・ガンツの演技がさえており、オリバー監督の意図が存分に発揮されているように思う。

ヒトラーを突然出現した狂気の独裁者=モンスタ ーとして描く図式から離れて、ただの初老の男が時代につかまれて、独裁者に成り上がる、その独裁者こそは、実はヒトラー人間性を慈父のように慕った周囲の市民軍(ナチス党やSS)や軍人達であり、ドイツ国民自身だったという新しい視点である。

今までのヒトラー像は、戦勝国とドイツ自身の思惑により異常者=モンスターとして切り取とられてきた。しかし実像は身近に接すれば、魅惑的言辞を吐き、女性には優しい指導者だったという、この映画の描いている通りだっただろう。

一過が過ぎれば、一人の独裁者に全ての責任を負わせ、異常者として自分たちと切り離して責任を免罪しようとする大衆。冷静に考えれば、独裁者が生まれるためには、大衆の圧倒的多数に支持されなければ生まれようがないというのが、近代政治なのに。

そしてひとつの理念と権力が解体していくとき、ひとのとるべき道の難しさをよく表現している。このプロセスにこそ、カントの道徳律は活かされるべきだと思った。

最後の秘書の実録インタビューは、監督の本意を明確に示すものであり、ヒトラーはあなたの隣のおじさんだったり、テレビで庶民受けする口当たりのいい政治家だったり、何処からでも国民の熱狂の中から現れてくるんだということを教えている。

また自分には政治的関心なんてないと言う若者にむけて、民主主義政治に内在する衆愚政治の向こうに、ファシズムと民族排外主義の暗黒の淵が待っている、ということを端的に告げている。ヒトラー=狂気の独裁者=モンスターとして、切り取ることでわれわれは免罪されたと思ってはいないか?
ヒットラーとは、わたしでありあなたなのだ。
そうこの映画は言っているように思えてならない。

5000万人の戦争死と300万人のユダヤ人虐殺はほんの60年前のことである。また日本の戦争もしかり、と言わねばならない。
それにしても、歴史からの逸脱をいつからわたしたちは犯し始めたのか?

ファシズムが、まず初めに無知な青少年婦女子を絡め捕って、彼らを先兵としつつ、日常の裏側にベッタリと貼りついて来る不気味さを、崩壊する「第三帝国」の中枢部とベルリンの市民を平行して追いながら、見事に描いているように想う。

こうしたファシズムスターリニズム儒教的オカルト政治が、いつも最も無知で弱い環を取り込んで始まり、弱い者らが更に弱い者たちを差別し排外
してしまうという悲劇が、この秘書の軌跡にみてとれる。

秘書とナチス少年が手を取り合って、ソ連軍包囲のベルリンを脱出するラストシーンは、戦後に知ることとなるユダヤ人虐殺の罪科に苦しむ普通のドイツ国民の序章にすぎない。
その後のかれらの「戦後」が、この映画を作らせたことは間違いがない。それにしても個人の短い一生からすれば、長い旅の果てにたどり着いたものだ。


かれらはまぎれもない普通の国民としてヒットラーに心酔し、戦後も再び普通の国民として生きたははずだ。
普通の人たちが普通のひとだったヒトラーを独裁者として産み落とし、普通の人の生活の足元に大量虐殺があったという恐ろしさである。
そして、その被害者だったユダヤ人が、今はパレスチナ人への呵責ない虐殺を続けているということに、やりきれない思いがする。
(了)