2016年(平成28)謹賀新年--日韓慰安婦問題「合意」について

新年明けましておめでとうございます。
本年も閲読の方宜しくお願い申し上げます。

前回アップした朴裕河教授の慰安婦問題について言及しましたところ、翌日急転直下日韓両政府による、合意と「不可逆的」解決が発表されました。

朴教授も急なことでビックリしていたようです。

一応筆者は歓迎する。しかし日本の左派原理主義とナヌムの家の慰安婦たちは「法的謝罪」がないと、支援団体挺隊協も反対の声をあげている。

その声は重要で重いものであるが、しかし一気にすべてを解決することは政治レベルでは困難であろう。
日韓条約以降、韓国の90年代から始まった反日国家主義政策のもとに非妥協的な対立をつづけてきている両政府が、全く糸口さえつかめないまま膠着してきたことを考えれば、アメリカの圧力によるものでも対話が生まれたことをひとつの前進とみて歓迎する。

なぜなら、村山談話の折、「アジア女性基金」が民間の基金といいながら多くは税金投入と閣僚全員一致の謝罪であってみれば、今の政権にも今後の政権にも日本がそれ以上の謝罪は政治レベルではありえるとは思えず、特に韓国内ではこうした日本側の努力も謝罪もほとんど国民に知らされていないことを考えれば、今後も二国間の話し合いも国民相互の理解も、向う一世紀は無理だろうと思うからだ。

外交は相手のメンツと事情のせめぎあいと合意である。
「最善」も「絶対正義」もめったにありえない。それは本年初頭の朴裕河教授を招いたシンポで、上野千鶴子ほか支援者が全員自己批判と運動方針の見直しを意思一致したことを無にしてはならないのである。

日本の政治はますます右傾化排外主義の色を濃くし、韓国の北朝鮮親和派の反日国家主義運動は納まるとは思えない。
慰安婦の年齢を考えると解決の糸口を確保することはこのタイミングを利用するしかない。

そして問題は以下の点が残された。

1.日本の安倍自民党政権は、自国の歴史を宗主国に依存し、いまだに日本の戦後史を自分の手でつくることができていない。

2.韓国の強い国家主義運動が健全に成熟するまでは、政府間交流で人的情報的流通を活発化し、日本側の努力と国民の4億円という見舞金の心情を伝えることも重要である。

3.国家と市民社会の混同を避けて、国家は政治過程としての合意、市民社会への介入は控えること。したがって国家の側から、韓国ならび日本の多様な見解と意見に介入しないこと。つまり民間の運動である慰安婦少女像撤去を強制しないこと。あくまで民間の論議を活発化させ、慰安婦問題と女性人権問題の混同をしないさせないことである。
国家が市民社会の意見を封殺するのはファシズムである。

4.日本の支援団体は、自説補強や、日本の改良運動に利用することを止めること。あくまで慰安婦が元日本人である点から、個人戦後補償を重点にすること。
植民地問題と女性人権問題は、帝国主義時代の問題として、白人先進国国家をも俎上にのせるパースペクティブのもとに普遍性をもった論議とすること。
それは韓国のベトナム戦争における強姦虐殺をも貫くものでなければならない。

ざっとそのように整理できる。

年頭から重いテーマとなったが、日本安倍政権の歴史捏造運動と韓国の反日国家主義運動(全体主義)が相似形をなして、事実を視ず、国民の親交への願望を無視しているため、慰安婦問題は、支援団体のイデオロギー主張とマスコミの言論商品化が複雑なものにしてしまった。慰安婦は売春婦でも、性奴隷でもなくあくまで「元日本人」の国家動員による被害者である、という初発の地点にたって継続的な解決を図るべきだろう。

最後に安倍総理がいうような「不可逆的」解決などありえないことを明言しておく。
歴史はいつの時代でも、新しく発見されるものである。
後続世代が新しく発見し、そのつど歴史は肉付けされ新たに合意されることで学説が定着するものである。
政治的に外交ネタにならなくなったとしても、両国の後続世代は慰安婦問題を機会あるごとに蒸し返すだろう。
民族と国家がある限り…。


ということで、本年も存在論的に、原理主義を排して、現象学的方法を徹底化して書いていきます。