指に吹く風の凱歌─ 詩人寺岡良信さんを悼む(文,至高)

指に吹く風の凱歌─ 詩人寺岡良信さんを悼む                             
 詩を書くひとをみると、それだけで尊敬してしまう。それだけ現代詩に対する憬れをもって俳句を詠んでいる僕には、寺岡さんは理想的な転向をしてきたように映る。寺岡さんが若かりし頃俳句に関わり「雲母」に投句していたと知って少し驚いた。そういえば生前、詩を書き始めたのは遅いんですよ、と述べていたのを記憶している。そのいきさつを今回『メランジュVol15』の随筆『手が知的に物を愛するとき』で確認した。死後になってなんたることだ。
 寺岡さんと俳論や詩論の密度の濃い談義をしたことはなかったが、その人格を敬愛した。それは寺岡さんが、金蘭千里高校の教員をしていたことがあり、僕の娘がその高校の出身だったためどこかお互いに親近感をもった。淡い交流は「カルメン」を舞台にした『メランジュ』の合評会であった。もちろん僕は同人ではないからたまに出席したときだけだったのだが、会えば必ず声をかけあった。ときどき感想を求められたが、門外漢の僕が寺岡さんを刺激できるような気の利いたことを言えるはずはなかった。僕にとっては、寺岡さんはじめ『メランジュ』同人の緊張感のある、言葉へ真摯に向き合う誠実さのなかに浸っていることが心地よかったから、寺岡さんにお返しするような配慮は思いもつかなかった。門外漢なりに寺岡さんへ何がしかの「ことば」を打ち込んでやればよかったといま改めて残念に思う。
 冒頭に寺岡さんは理想的な転向をしたと書いたが、実は僕は高校大学時代、無手勝流に自由詩らしきものを書きなぐっていた。もう初老といっていい頃俳句を始めたから、寺岡さんとは逆の道行なのだ。寺岡さんの詩はもちろん自由詩だから、難解で生硬なことばが使われているのだが、読んでいるうちに息遣いがリズムとして伝わってくる。もちろん詩人の個性が端的に読みとれるものは行わけのうちに表れてくる。作句する僕には、寺岡さんの行わけと一行ごとのリズムが、俳句として立ち上がってきてもおかしくないように感じていた。寺岡さんのなかに、俳句の書き方がずっと結晶していて、無意識に表出してきているものだと思っている。これはこじつけでもなんでもなくて、寺岡さんの詩集は、僕の詩嚢を満たしてくれる実に豊饒な大地であった。作句に行き詰った時は、しばしば訴求力のあるタームの参照先とさせていただいた。そしていくつかの俳句を作った。例えば今回でも改めて目にとまったのは、遺作第四詩集『龜裂』のなかの「放逐」の最後の連だ。
 逃げ水に
 槍を放てば
 遥か地平で
 森が哭く
みごとに、五・七・七・五だ。しかも季語まで準備してくれている。こう差し出されたら、僕はもう作るしかない。
 放て矢を暗む八洲の逃水へ   至高
これを行わけすれば自由詩にもなる。僕は現代俳句は否応なしに自由詩の影響を受けてきたから、自由詩と韻文のぎりぎりのところを狙っていいのではないかと思っている。だからこんな風にして何句か踏まえさせていただいてきた。あゝお礼も言わず終いだ。
 寺岡さんは、詩に転向したときのことを、三〇歳半ばで病を得て思うところがあって書き始めたと述べている。僕はそこに寺岡さんが詩を書く必然性を感じとる。右の例をみても、俳句にすると、どうしても意味を通さなければいけなくなる。しかし詩は意味など関係ない。喩も飛躍も自由だ。それらは俳句もタブーではないが、現代俳句は多くの読者に通俗的に理解してもらうというのが前提になっているから、よほどの技量を相互に高める必要がある。しかしやはり通俗的な意味を通さなければ「ひとりよがり」だとはねられる宿命を負っている。理解されない「私」を書きたいのに、それでは散文で書いた方が早いのではないかというジレンマに突き当たるのが現代俳句なのである。それから比べると詩は名前通り自由で愛に満ちている。
「私」は歪んだり裂けたりいつも変容体だ。それは感情の起伏となって表出する。寺岡さんは若くして病を得て死を生活意識の内側に抱えてしまったのだろう。しかしそれはひとにはしばしばあることだ。それが言葉の表現として詩へ向かったところに寺岡さんのすばらしさがあった。自分を自分で覗きこみ、自分の再編とこの世の身の置きどころを凡人以上に突き詰めたはずだ。そのとき俳句ではなく詩のことばに出遭い、詩のことばにすがった。他人へ意味を理解させるのではなく、自分の暗部を取り出せることばとして詩のことばに救済されたといっていいだろう。
   鍵穴
  青白い月光にうながされて
  流氷が接岸しはじめると
  看守の鍵束が夜通し廊下に響く
  独房はどれも星座の名前がついてゐて
  白鳥座の囚人は
  飼ってゐる白鳥が死ぬと
  ランプの芯を低く落とし
  殯を営むのだ

  愛する囚人たちの寝息を
  鍵穴から確かめては
  独房の表札を裏返してゆくのが
  老人の仕事だから
  彼もまた深々と跪き
  暁の闇に堪へた
  そんなとき
  逃亡した少年の切れ長の目が
  看守の胸をよぎる
  
  冬の銀河に
  鍵穴からカヌーを漕ぎだして
  行方知れずとなった少年─

  忘却はいつも翼ある背のかたちをして
  薄明りに盲ひた指が
  樹林の雪にハープを弾く
                『亀裂』より
 これは寺岡さんの詩のなかではまだ比較的意味が読み取れる方の詩だ。でも意味を説明せよと言われると難しい。しかしこの四連の「忘却は…」以下の飛躍はすばらしい。ジーンと胸に残る。詩は寺岡さんの体験、感情、さみしさ、空しさ、希望、そんなものをあくまで個人のものとして支持し、なまじの通俗的理解では届かない個人の深部へ錘を下す。詩によって寺岡さんは抱擁され、個人が個人のままで存在することを支援してくれている。他人の理解できる程度の意味なんかどうでもいい、あるがままに抱き留めてくれているものが詩。俳句にはこんな温かさはない。突きはなし、「私」からは逆立した共同性へ回収しようとする。
 僕が昔から最も親しんできた詩人に石原吉郎がいる。郷里に近い伊豆の出身ということもあり親近感を覚えたのが最初だ。詩の難解さは読むほどに解らない。同時に読めば読むほど通俗的なことばでの説明を拒絶してくる。しかし石原のシベリアから凍結して持ち帰った寒々とした心と、抑留体験を整理できない戦後の秩序崩壊した生活意識を、見事にことばの波動として教えてくれる。詩は石原を抱き留め、石原自身であるように佇せてくれた。それは秩序あることばの意味としてではく、音楽のような心から心への直接性として。
 寺岡さんの詩を読むたびに、僕はどこか石原吉郎の詩を想ってしまう。いや石原吉郎の延長に寺岡さんをみているのか─その確証を得るまでもう少し詩を書いていて欲しかった。早すぎた死を悼む。                  合掌

(文)至高

(初出)詩誌『めらんじゅ』Vol17.2016年3月1日発行