矢部宏冶氏の加憲論を支持、やっとわたしの同調者が現れた。

矢部宏冶氏が加憲論を主張している。
私が20年程前から主張していることと同じである。

米国憲法と同様に、修正条項の追加を書き加えていく方法である。

改憲派/護憲派の削除や書き換えでは、先人たちの思想や努力が見えなくなってしまう。
またどういう必然性で修正したか、社会と思想を条文から把握できなくなる。
もっともな考えである。

わたしは、公の場で加憲論を述べても、そういう考えもあるかなという程度で、ほとんど真剣に検討されない。イラついてきた経緯がある。
面倒な時は、改憲論ですと述べると、ほとんど無名なために右派だと批判めいた言葉が返ってくる。

だいたい、9条があっても、自衛隊はできて、ますます沖縄の基地は拡充された。それは米軍基地だ。朝鮮、ベトナム兵站どころか爆撃機と兵隊を日本から送り付けた役割は、外国軍隊には9条適用外とされててきたわけで、その間せっせと儲けたわけである。

わたしはそういう日本のセコさが実は保守派と同根だとみるし、それで平和であったと9条の効果を金科玉条として称える日本人を唾棄する。
中身は長くなるので、ここでは立ち入らないが、また別途しっかり論じたい。

矢部宏冶氏の改憲修正条項の例示は思い付きでしかないが、それでも加憲を憲法と安保のベストセラー本ではっきり主張したことは喜ばしい。

安倍の改憲はもってのほかと思いつつ、やみくもに理念の掲示だけでも価値があるなどとはいう護憲派にも寝言いってんじゃないよと思うのである。

民主主義の根幹は、結局統治=軍のコントロールを国民がどれだけしっかりできるか、その合意の強度につきる。
憲法はその軍の力以上の言葉として信じるから明示するのであって、現実に不可能に陥っている事態を観ないことにして、理念だけは掲げ続けようというのはロマン主義にすぎない。
また憲法をいじるのは危険だから、その下に法律を接続すればよいという安易な野党にも賛成しない。
実質改憲は、そうして法律によって成り立ってきた。護憲の野党が言うのは矛盾だろう。
また法律レベルは、政権が交代すれば安易に変更される。軽いのだ。
国民に信を問う手続きもない。

もっと党利や政治勢力の攻防線から離れて、次世代のためにどうするか、ただでさえ欺瞞を生きてきたわたしたちの責任として、真面目に考えたいとわたしは思っている。