東大安田講堂決戦の日があった⋯1969年1月18,19日

何を思ったのか、読売テレビ辛坊治郎が、東大闘争を報じた。

小熊英二がやはりコメンテーターとして、シャシャリでてきた。

この男の誤った事実認識が、カルチュラルスタディーとして流布されることを危惧してきたが

手っ取り早くマスコミはこの男を使うのだな。
「高度成長のひずみが出た」、
えー?
「最後は立てこもったり、逮捕されるものだといったことが運動だと思われてよくなかった」⋯
おいおい、そこかい(笑)

最首悟が、にやにやしながらステロタイプの解り易い話にしていた。82才になったと感慨深げ。

スタジオには元活動家田崎史郎がいて、
「世の中に何かしなければと思っていた。しかしあのやり方では世の中は変えられないと思ったので止めた。」
「それでこういう仕事になったのかもしれない。」
それは「良識」のある青年の反省だ。
そこまではいいとして、
自民党官邸から金をもらって、代弁に努めて、世の中変えているつもりか? 

普通の市井のしがない庶民として、
なお改革と「知」を手放さない生き方が、
元活動家には意外に難しかったのはなぜだ?

元活動家がそれぞれの分野で出世していったが、
小生はそれを倫理的にとやかくいわない。
どのような人生も自由だ。

良し悪しの基準は、「知」を手放さなかったか、それだけだ。
その意味で、山本義隆は、全共闘のヒーロー(少ない典型)である。