まるでシナの古代国家を模倣して、日本の独自文化など欠片もないと、過激なナショナリズムを唱えたが、なるほど一理ある。
津田は、西洋的な独自な皇室と天皇像を求めていた、と思えるのだが、明治政府の作り上げたものは古代中国の皇帝を模倣したものだとみなした。
その一点でシナに依拠する日本の天皇と皇室の在り方を唾棄し、それゆえにシナを徹底排除せよと生涯唱え続けた。
日本近代は、下級武士のコンプレックスによって、シナの影響をもろに受けた古代国家を蒸し返した。
装束を見ただけでも、外国からみれば、いや現代っ子がみても古代中国なのか日本なのか判断つかないのではないのか。
また厄介なのは、平成天皇の仕事のスタイルを踏襲するとの宣言だが、
平成天皇のスタイルは、孤独のうちに彼がひとりで考え抜いて国民の祈祷者としての振る舞いを定着させた。
これまた古代国家の天皇像に回帰してしまっているのである。
現憲法には天皇の国事行為のみが規定されているのであって、憲法にはそれ以外の任務を課してはいない。
平成天皇が、勝手に「慰霊」とか「お見舞い」とかを天皇の仕事にしてしまったのである。古代国家の宗教的祭儀者として自らを復元してしまったのである。
これはある意味重大な問題を孕んでいる。
将来、天皇が勝手に自分の恣意的な行為を、仕事として選択していくことの前例となることだ。
原理的にかんがえてみると、この即席の押しつけ「象徴天皇」制には、問題だらけなのである。