「高校生運動50周年集会」が企画進行、再度成熟した知性をもって現在に斬りこめ!

先日、世田谷区(人口約100万人)は、区立全中学校の校則を撤廃することを発表した。全校長らのアンケートによると大多数が、現行の理不尽な校則は教育上好ましくないという結論から発生しているとのこと。
 
さすが、中学時代から、内申書撤回闘争裁判を戦い抜き、進学を公権力によって妨害されたにもかかわらず、大学を卒業、衆議院議員を経て世田谷区長となった保坂展人さんならではの善政である。
善き人には善き校長が育つ、こんな永年生徒たちから不満が積もり、時代遅れの自主性を抑圧する校則なのだが、なかなか保守の牙城では好転しない。
今年度の調査では、高校は更に不合理な校則と教師の抑圧指導が増加しているとのこと。
安倍政権の暗く抑圧的な統治に飼いならされていく国民や行政のなかにあって、久々に明るいニュースであった。
 
保坂区長とともに、同時代に反戦平和、自由と自立、大人たちの戦前的倫理の破壊を掲げて戦った、「全高連」などの嘗てのメンバーが50周年の集いを催すとのこと。
 
小生の田舎には、そんな洒落た組織も、他校と連帯などとんでもない校則破りであったから、孤独に挫折していくのみであった。
ベトナム反戦のアピールと、歴史研究部での「ベトナム反戦」雑誌の発行が、当時のNHK教育テレビの眼にとまり、密着取材申し込みがあった。
田舎の高校の一雑誌が、どういう経緯で渡ったかは分からなかったが、なんでも高校生の政治意識とクオリティが高かったという評価だと教師からは聞かされた。
当然県教委は、当時は高校生の政治活動はもちろん、他校との交流は許可制、ビートルズの公演に参加しただけで停学処分を喰らったような時代だ。
教師から取材は一方的に断ったという通知が口頭で伝えられた。
それも、親しいコミュニケーションのある教員組合の教師を使ってもたらされた。教員組合の教師も、異議を申し立て、生徒を庇う力はなかったのだろう。まして万一全国ネットで放映されていたら県内は混乱い陥り、校長は間違いなく処分されただろう。
「もし」はないが、「もし」全国の高校生が連帯して闘争をしている情報が入手できたなら、間違いなくこれは大きな闘争課題となったはずだ。
今のようにスマホもネット環境もない時代、孤独に挫折した中高校生は多かったはずだ。
それにしても、今は18歳から政治参加が合法化されている、この落差を自民党や保守言論人、さらにいわゆる暴力学生と非難した代々木系進歩的知識人やマスコミは合理的な説明を一度でもしたことがあるのか。
 
以下に知人の大谷行雄氏がよびかけて、プロジェクトが動き出した。
これは、疵をなめ合うために非ず、現在への鋭い批評性と行動のラジカルを実践するための確認儀式なのである。
 
【1960年代後半から70年代前半にかけて安保闘争反戦闘争を闘った全国の元高校生中学生活動家同志およびシンパの皆様へ「高校生運動50周年集会」のお知らせ】
 
かねてから計画されてきた首記の件で、昨日、実行準備委員会が開かれ、概ね下記のように決定されました。
 
当該当事者で参加希望の方、あるいはそのような方をご存じで紹介できる方、是非下記連絡先または本ページのメッセージでご一報ください。
 

《呼びかけ文》
 
今から半世紀前、日本の高校生たちは自由を求めて起ち上がった。「高校紛(闘)争」と呼ばれたこの闘いは、制服の自由化や管理教育の廃止を求め、時に校舎をバリケードで封鎖したり、授業ボイコット、卒業式中止など多種多様、同時多発的な高校生の叛乱だった。
 
ネットも携帯電話もない時代、全国各地の高校生たちは他校の生徒と必死でつながりを求め、連帯して実力闘争に決起した。ベトナム反戦や大学闘争の影響を受けながらも、高校生の闘いは学生運動のコピーではなかった。入学した時から受験の鎖につながれ、テストに追われる日々。良い大学に入り、良い会社に就職、というレールに敷かれた受験体制に、否を突き付ける闘いであり、家族や学校の重圧からの解放を求める個々人の生き方を問う闘いでもあった。
 
半世紀経った今、高校は変わったであろうか。自由にものが言える学校生活を送っているだろうか。
 
世界を見れば、香港の高校生は銃弾に撃たれながらも自由を求め学校内外で闘い、スウェーデンの高校生、グレタ・トゥーンベリさんは一人で「気候のための学校ストライキ」の看板を掲げて座り込み環境破壊を進める世界の大人たちに鋭い刃を向けている。
 
高校生が世界を変える。いびつな大人社会へ否を突き付け、研ぎ澄まされた感性と熱情を持ち、恐れを知らず起ち上がった高校生運動の足跡を語り継ぎ、未来への糧に繋がるよう、「高校生運動50周年集会」を企画した。かつての高校生は、半世紀の時間をどう生きてきたのか。様々な人生をくぐりながらも高校生としての決意を原点に生き抜いてきた仲間も少なくない。学生運動とは似て非なる高校生運動、その実相に迫り、現在、未来の高校生に何を伝えられるか探る集いである。
 
これは、2012年に小林哲夫さんの著作「高校紛争」(中公新書)の出版記念会に集まった仲間の有志が50年という節目に再結集しようと呼びかけたものです。かつての高校生、現役の高校生問わず、多くのみなさんの参集を呼びかけます。
 
《呼びかけ人・実行準備委員会》敬称略・順不同
 
大谷行雄(教育大学附属駒場高67年入学) 加藤賢明(都立九段高66年入学) 菊池晴知(都立九段高66年入学) 岡村俊明(都立青山高66年入学) 川嶋康裕(府立大手前高66年入学) 千坂恭二(大阪・上宮高66年入学) 前田年昭(灘高69年入学) 安田宏(都立上野高67年入学) 池田実(都立北高68年入学) 繭山惣吉(麻布高69年入学) 森田暁(開成高68年入学) 高橋順一(武蔵高66年入学) 福井紳一(慶應高72年入学) 金廣志(都立北園高67年入学) 小林哲夫(「高校紛争」1969-1970「闘争」の歴史と証言著者)
 
《期日・場所》
 
2020年2月11日(火・建国記念日祝日)
 
場所は、東京御茶ノ水の連合会館を予定しているが、変更の可能性有り。
 
【高校闘争、元高校生活動家の集会を2020年2月11日に開催する理由ー高校闘争における2・11建国記念日反対闘争の位置づけ】
 
かつて、建国記念日反対闘争というものがあり、それは建国記念日の制定が戦前の天皇制の象徴である「紀元節」の復活であり、それを通じて国民に日本帝国主義の海外侵略の精神的基盤となる愛国心を育成しようという意図に反対するものであった。
 
この建国記念日反対闘争は、建国記念日が創設された1967年2月11日には、大学生の全学連でも全国的規模で闘われたが、その後68年69年と経るに従って、全学連の闘争目標が多様化、過激化したために、かえって建国記念日反対闘争は凋落していった。
 
そのようななかで、高校闘争においては、建国記念日が創設された67年2月11日の反対闘争以後、毎年継続して大規模に闘われてきており、特に69年2月11日の反対闘争では、大学全学連や労働者は小規模の集会やデモがあっただけなのに反して、例えば、東京における高校生の闘いは、初めて高校生独自に反日共系諸党派の高校生組織が連帯して「二・一一紀元節復活反対高校生集会」を組織し、都内各校から約700人の高校生を集めて千代田区清水谷公園で戦闘的な集会デモを貫徹した、また都立青山、竹早、私立麻布、武蔵などの高校では同盟登校運動も行われた、それこそ記念すべき日なのである。
 
このように建国記念日の反対闘争は、かつての高校闘争の主要な闘争の一つであり、現在に至って、新天皇即位で浮かれている世間に対して天皇制に反対しこのような闘いをした高校生がいたということを知らしめることは非常に有意義なことと考える。
 
《代表連絡先》大谷行雄 080-4617-9028 japarabia@nifty.com, 安田宏 070-5084-2434 alexis-h@pdx.ne.jp