文芸俳句

■追悼−故大橋彦左衛門氏(愛由等氏ご尊父)、俳人故山田弘子女史(『円虹』主宰)

MIXIで主宰している「waiwai俳句会」のトピックを修正再掲示したものです。 *昨日2月10日は、昼間葬式、夜は通夜とたいへんでした。 昼間は、神戸の詩文学の活動の拠点になってきたスペイン料理店「カルメン」オーナーの大橋彦左衛門氏のご葬…

■政権交代、激動の一年でした−よいお年を

今年初めてブログを立ち上げました。いろいろ事件もありましたが、ブログランキング人文総合の部におきまして20位前後まで入ることができました。 もとより、ブログランキングのために書いているわけではありませんが、多くのひとに読んでいただける手段の…

■江里昭彦氏の『パンの耳』がいい−『左庭』4号より

わたしのような俳句一般が好きでない者は、あまり人さまの鑑賞をしているゆとりはない。普通の俳人の鑑賞などは余程余裕のあるひとのすることで、わたしのように自己体験に拘って細い道の俳句を歩んでいると、俳句一般は俳人一般に鑑賞しておもらいなさいな…

■「大宰読む」他12句

(注)以下の作品につき、著作権法により無断複写・転戴を禁じます。 * * 八月の海や亡者の澎湃と 晩夏光沖の翳りを父泳ぎ 百年を檸檬の香り大宰読む

■俳句を小学5年生から教える−宇多喜代子さんに聴く

先日現代俳句協会会長の宇田喜代子さんにお眼にかかった。宇多さんには、小生の大好きな作品がある。 天皇の白髪にこそ夏の月ときどきふと口をついて出てくる。 鑑賞の説明をすると句の佳さが損なわれるような気がしてくる。黙って何度か声に出して読むと、…

俳句批評、鈴木純一「反解釈(?)リアルとテロル」−豈48号別冊

(前略) 他者という地獄を生きて吾亦紅 至高 「他者という地獄」というのは、相手が真の他者ではなく「自己のコピー」としてあらわれる現代社会をさします。そこでは真の他者と出会うことは難しい。反復する自我の連続(コピー)は、三面鏡に顔を入れると経…

ブロガーはプロフィールぐらい書けよ

少しブログに慣れたが、どうもこの世界はやはり信用ならない。というか、信用度合いの高い情報と、デマか本当かわからないようなところが いただけない。 実名で成り立っているブログは、当然責任主体として、発信情報に責任を持つ ということだから問題ない…

俳誌「『六曜no.16』−自選集」鑑賞(2008,9,10発行)

この衆院選の政権交代へ向けた、わたしなりのネット言論へのコミットは初めての経験だった。 この経験で、望んだ政権交代も実現し、長く自民党一党支配しか知らなかったわたしには、初めての国民の力による議会制民主主義の一歩が進めたな、という実感でもあ…

俳句:「顔」−『六曜』NO.16(2009,9,10)

顔 至高初夏の視線の先の紅い爪緑陰やマスクちらほら対策本部われらまた豚に等しき夏インフルエンザ閃光がミサイルとなり青薄白黒黄の肌色とあり星条旗背景の顔の翳りを螢曳き影までの距離を保てり立葵空蝉となり山河に砕け散る自らを結び目となし蛇は死す胎…

本当に俳句やってるの?「きっこのBlog」

9月7日付けの「岬めぐり」というエントリーをたまたま読んだが、読み物としては面白いことは面白いのだが、問題としているテーマにつては「きっこ、大丈夫か」と思わずつぶやいてしまった。 http://kikko.cocolog-nifty.com/ 森進一が歌ってヒットした「襟裳…

「生誕100年の作家たち」よみうり神戸文化センターのお知らせ

日本の近代文学史に巨大な足跡を残した作家のうち、松本清張中島敦大岡昇平太宰治の四人を取り上げて、改めてこれらの人と作品を鑑賞してみようという試みです。神戸の方たちばかりではなく、ご興味ある方はお誘い合わせてぜひご参加ください。詳細はウェブ…

俳誌『六曜』15号鑑賞

(1)評言 まず、出口喜子さんの「巻頭言」。 高柳重信など現代詩のシュールレアリズムの影響下に、行が3行に分かれて書かれた句は、分かち書きまたは多行書きという。一句中一字空けるものは、切れ字がない場合「切れ」を作るために設定する。戦後現代詩の影…

内田樹「『1Q84』BOOK1・2」(村上春樹)書評を読む

週間文春6月18日掲載分より。期待していたほどのボリュームはなく、一ページのみ。 予想していた通り、また内田がうまいこと説明しているわ。 文学者ではなく哲学者の書評なので、わたしにもストンと腑に落ちる解説になっている。大方の文学者は、思想潮…

『1Q84』ってなんだ?

『1Q84』と何度も内田樹のブログに出てくるから、何かゲームか数値基準かと思ってた。そしたら村上春樹の新しい小説らしい。 それで読み方はどう読むのだろう? そのまま、イチキュウハチヨンでいいのかな?解らないなら適当に読みやすく読んじまえとい…

俳誌「鬣」31号、江里昭彦さんありがとう

本日毎度ながら江里さんが送ってくれた。 この俳誌は以前も書いたが、生真面目でひたむきさが伝わってきて好感をもっている。 江里さんの「後退戦が人生の過半を占めるとき−『鈴木六林男全句集』小論」を読んだが、いつもながら端整な文章と的確な論理構成で…

『國文学』廃刊、「特集俳句」に予感

月刊『國文学』(昭和31年創刊)が廃刊になるらしい。小谷野敦氏のブログで知ったのだが、やっぱりな、という感想だけだった。『論座』、『諸君』、とそれなりの雑誌の廃刊が続いたが、『國文学』ももちこたうられなかったようだ。 といいつつも、別に何か世話…

筑紫磐井氏の「<私>は残る」の意味と、ニヒリズムを超えて。

久しぶりに、調べものをしている途中、竹田青嗣の文章に丁寧に線引きをし、欄外にゴチャゴチャ書いている部分を発見して暫く追ってみた。 自分でも忘れていたが、もう10年以上前に記入したもののようだ。 ”戦後理念”が思想上の営みを踏み出したとき、それ…

「明日のジョー」復刻と左右言論の劣化

「明日のジョーはわれわれである。」と叫んで北朝鮮へ渡ったのは、共産同赤軍派であった。その彼ら、小西、魚本(旧姓安倍)、若林、赤木、たちへ、ジャーナリストの伊藤孝司が取材した記事を「週間現代」に掲載している。 タイトルは「よど号犯が語る40年…

中山美樹並び高遠朱音嬢句集ご恵送御礼申し上げます

豈同人中山美樹さんより、とても可愛らしい句集『Lovers』が届いた。絵が霜田あゆ美さん。オヤジながら思わずルンルンと鼻歌まじりに抱きしめてしまいたくなる。 わたしは口語俳句やライト・バースの俳句は敬して遠ざけているが、中山さんの俳句は、例…

福田和也の劣化−小沢一郎批判を読む

良質な文芸批評家山崎行太郎氏のBLOGで、かつて同じ江藤淳門下の福田和也氏への決別のことばを見た。 ↓ http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20090331/1238455541月間『WILL』の小沢バッシング特集についての山崎氏のコメント ↓ http://d.hatena.ne.jp/d…

■検察(警察)権力は過去にも誤った

ご協力いただきました結果、人文の部総合で、ランキングがいきなり62位に上昇していることが判明しました。 開設してまだ半月たらず。ため息のような堅い退屈な記事を読んでいただき、御礼申し上げます。 別にランキングを目当てに書いているわけではない…

■左右両派協同講演会「貧困、テロ」

来る4月8日に、左右の論客が激突する。 といっても、つまらない右派ではない。あの江藤淳の愛弟子で、文芸批評家で自称右派の山崎行太郎氏が登場する。 氏のブログを読む限り、どこが右派なのかよくわからない。 わたしは左派を自認してきたが、氏の言説に…

■携帯電話「季語と歳時記」

長谷川櫂氏によって編集された「季語と歳時記」が無料で提供されています。5000季語が登録されています。URLは→http://cgi.geocities.jp/saijiki_09/ktai.htmlわたしは、歳時記をチェックするとき、『青鷹』と『秋の暮』を簡単にチェックしてみる。そ…

■「鬣」、三上治、レヴィナスどころじゃない、陰謀の小沢一郎秘書逮捕

江里昭彦氏より、「鬣」30号が届いた。御礼申し上げる。 いつもながら、ありがたいことである。江里氏も鬣も今最も好 感のもてる書き手であり、俳誌である。このひたむきで、生真 面目な俳誌は、迷走する俳壇の詩誌の中にあって編集方針が、 ブレず、ひと…

■下司な野心は哀しい-「豈Weekly」匿名合評という辻斬り

「豈Weekly」関係者であろう。作品合評と称して、A子とB子 というババアが二人、匿名で好き放題言い散らしている。もちろん、どのようにひとの作品を詠むことも許される。 それに文句を言うつもりはない。しかし、ひとの作品を 切った返り血、つまり己の程…

■評論−「既知と架橋−六林男(むりお)の一周忌によせて」

白兵の夢のつづきを花野ゆく 六林男 句集『一九九九年九月』の「草の花」所収、六林男七九歳の 作。硬質な作風で識られる六林男作品のなかではめずらしくあ る種の抒情を感じさせる一句である。 「白兵」という言葉のもつ過酷さとは別に、音読したときの や…

■生野毅氏、「カルメン」で遊ぶ。

豈同人の生野氏が来神。神戸芸術センターの第2回芸術センター記念絵画公募展。詩人の支倉隆子さんのご主人で、画家の川瀬裕之氏が入選したものを取材にこられたとのこと。同行して一緒に鑑賞。実にすばらしい、紋切り型の賛辞になるが、川瀬氏の入選作品二…

■評論−「攝津幸彦とその時代」

攝津幸彦の俳句を読むと、決まって翳りのないどこまでも続く透明な街路に佇される。措定される語句の重たさが、定型の韻律を抜けていく時、一句は軽妙な明るさとノスタルジーを帯びてくる。 彼の年譜を辿るとき、同時代とはいえその青春期の経歴の近似に驚か…

■評論−『書くことの「リアルさ」をめぐって』

かつて痛切に言葉が欲しいと思ったことがあった。 1970年前後、全共闘運動が最高潮に達しつつも、一方で解体に向かう兆しが見え初めていた時期だったように記憶している。つまり普通の学生が主体的に組織していた運動が行き詰まり、マルク主義諸党派の政…

■俳句作品2007年〜2008年抜粋

*1 三日 木枯の夜にあらわれ旧い友 冬薔薇の絵とその冬薔薇をもつ少女よ ひとを釣る冬空の蒙き穴より 海をきて陸に棲みつく十二月 死後の景観える冬日の観覧車 寒月光新聞にきて騒めける 打ち水の凍る花街まだ来ない 参商(しんしょう)の真ン中にある鏡餅 こ…