福田和也の劣化−小沢一郎批判を読む

良質な文芸批評家山崎行太郎氏のBLOGで、かつて同じ江藤淳門下の福田和也氏への決別のことばを見た。
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http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20090331/1238455541

月間『WILL』の小沢バッシング特集についての山崎氏のコメント
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http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20090402/1238619646


週間文春4月2日号の福田の小沢一郎批判についてである。
確かに、山崎行太郎氏の批判は的を射たもので、かつての同門への複雑な心情をかいまみせている。こういう場合、同門というのは自分が批判するのは構わないが、他者に批判されたくはないという屈折した感情が残るものである。それを承知で簡単に「他人」のわたしが、福田の低俗な小沢批判に対して、同様に低俗に批判してみる。


ひとことで言えば、福田は小沢一郎がただ嫌いなだけなんだ。
ただ、嫌いを言うために、過去の小沢との私信や秘話を持ち出して人格を貶めるようなものいいは女々しいぞと山崎氏は述べて、多分師の江藤淳なら絶対そんな下品なことはしなかったはずだと批判する。読んだ限り全くその通りと言うしかない。


福田の小沢批判をざっと列記しつつ反証してみる。

1.持続して関係を築く能力、他者と対話する心根が欠如しているのでみんな離れていく。


  
(反)そういう面は政治のような利害の露骨に錯綜した世界ではままありうるだろう。
しかし、小沢は自民党を出ても30人ほどの同志はいるし、古手渡部藤井などもしっかりいるわけで、福田の指摘が全てではない。



2.未だに自宅に書生を置いて政治家を育てる、これは人を信用していないためだ。


     
(反)少し意味がわからない。人を信用していない政治家はみんな自宅に書生を置くのなら、いままで日本の政治家のほとんどは人を信用していないというふうに言えてしまうが、どうだろうか。



3.師の角栄は、敵を作らないことに腐心した。それを小沢は集金システムだけを受け継いでいる。

   
(反)角栄はそのため金を誰彼なしにばら撒いた。小沢はそれはまずいと思っているかもしれない。政治家は敵を作っても自分の政策を進めるものだという信念かもしれない。わたしにはそんな風にみえるが。少なくとも金で味方にする方法をとっていないだろう。それはよくないか。オバマだって人気政権を取ろうと思ったらトップの政治献金だ。   



4.総理をやる気がない、は嘘だ。これだけ金を集めて十億円以上不動産を購入して
  いる。権力欲の表れで総理をしたいことがわかる。


  
(反)金に執着する性格は権力欲が旺盛なのか?そんな性格診断めいた話は聞いたことがない。福田の言うように両方の欲望の強い人もいるし、金には執着しても権力や地位は一銭の得にもならないと思っている人もいる(うちの祖父なんかこの典型)。そんなこと断定できないだろう。


平成5年与野党逆転で細川内閣ができたとき官房長官を務めた新党さきがけの竹村正義が回顧している。
7月22日プリンスホテルで細川から、小沢に総理をやるように言われたと告白される。このとき誰が見ても小沢の盟友新生党党首羽田孜首班指名になる流れだった。細川は全日空ホテルに出向き、小沢に総理の件を断った。小沢は困惑してならば竹村さんでもいいんですよと言った。  
       

そしてなぜ今多数政党の新生党でない方がいいか縷々説明したと言う。小沢がいうには、この混乱期には政党の大小やキャリアの長短ではない、フレッシュさが重要だと説明したというのだ。

       
また官房長官新生党から出したかったようだが、細川が機先を制して盟友竹村を指名し、小沢は竹村は行革担当大臣にしたかったようだがあっさりそれならよろしいと了解してしまった。

       
この事実を聞いても、小沢はやはり戦略の人だろう。政局のためには自分の盟友をも抑えてキャスティングをするある意味トップに立つ人間に必要な非情さをもっていると推測できる。
    
       
あの細川内閣成立時の新鮮さはわたしも記憶にハッキリ残っている。小沢はあたっていたのである。そして福田の読みは根拠なき悪意ととれてしまうのだ。ことば通り、小沢は本当に表面上の総理などどうでもいいと思っているのだろう。わたしは自分がそういうタイプだからよく解る。


5.権力とは何かを知悉している数少ない政治家。(略)権力を維持するならどんなこと
も厭わない小沢的マキャベリズムは平然と自ら破滅へ向かう道を選ぶ。


(反)わたしは小沢を身近にみてきたわけではないので、この福田の見かには反論も肯定もしない。しかし、自民党を飛び出し、新生党から民主党との合併までをメディアを通じてみてきた限り、自ら破滅ヘ向かう道だったのか生き残ってきたのか両面で語れるのではないか。
いずれにしても今野党第一党の党首でしかも既存の権力受益層からもっとも恐れられている立場を見る限り、福田のいう「破滅へ向かう」どころかしぶとく生き残っていると観たほうが自然ではないのか。いってみれば、大企業を飛び出してみたものの世間は甘くなく中小企業経営を四苦八苦きりもりしつつ、その過程で鬼のように人も切ったり不安恐怖からとにかく金だけは蓄えておこうと思うのも、またありうる話ではないか。       

      
福田はこの件に関連して、かつて小沢が石原慎太郎を総理に担ごうとして、石原と親しいと思われた福田に説得工作を依頼してきたことのエピソードを紹介している。
   
  
福田が、文学上の接点なので渋っていると小沢はしつこく催促し、とうとう自分の親しい知人を使って福田に説得するように手を回してきたという。福田が小沢が強引なマキャベリストだと嫌う理由である。

      
わたしは思わず笑ってしまったが、世間ではこういう強引なやり手社長やプロデューサーはいたるところにいて、たしかに鬱陶しい連中ではある。しかしかれらがとびきり有能で情熱家であることも事実なのだ。福田が文芸の世界にそのようなタイプの人間と出会わなかったというにすぎない。

      
山崎行太郎氏が問題にするのもまさにこの件である。こういう過去の秘事を晒して、今小沢が「溺れる犬」であるにも拘わらず叩くその姿勢は師江藤淳の矜持にもとるものではないかと。

      
わたしも福田ともあろうものが、権力受益層側から狙い撃ちされ政治生命を終えようとしている今、藪から棒に誹謗中傷に近いような批判を発表したことに驚いた。右派言論人としての品位をたもてば、こうした批判ではないだろう。日本の戦後政治史の文脈において小沢他自民党を離党したグループの政治における構造的批判でなければならないだろう。

      
そして小沢より麻生の方がいいと言うのだが、権力を維持するためには何でもするのは麻生の方ではないのか?今回のカッコつき西松献金虚偽記載逮捕事件はそのことを証明していはしないか。福田は偏向している。


6.細川政権のとき、消費税撤廃をして国民福祉税7%導入を図ろうとした。
  これが細川内閣を崩壊させた。


(反)この件はわたしも同意する。ただしわたしは当時原則的に国民福祉税を支持した。
この語の響き、発想は自民党にはでてこない斬新さを確かに感じたものだ。

      
ただ今から考えるとこのとき導入していたら今の社保庁の組織的犯罪も官僚の膨大な天下りやムダ遣いも隠蔽されたままだったかもしれない。また小沢が自民党を出た直後であり、小沢自身が権力から見捨てられたときどれだけ悲哀を味わうことになるか知らなかっただろう。小沢が今社民党などといち早く政策協定できたのもこの時間的熟成は必要だったというべきかもしれない。もっとも政権交代が実現しての話になるが。 
     
      
だが今消費税アップやむなしというのがわたしの考えだが、国民福祉税の基本的考え方は、益々重要になると思っている。



7.北宋の詩人曾鞏(そうきょう)の『虞美人草』を好む。劉邦に敗れた項羽に心情を投影し、その妃虞との悲恋を好む。虞の血が草原にしたたりそこにひなげしの花(虞美人草)が生えた美しい話。(略)小沢が高校生のときに感動したという。
(略)(これを好む小沢は)破滅の美学を内包するので、一国の宰相には不安だ。

    
(反)驚いた分析だ。もう福田の妄想でしかない。高校生の小沢が、詩の評価ではなくこの項羽と虞美人の悲恋と、草原にしたたる血から美しいひなげしの花が咲き誇ったという情景を好むのは、福田の指摘する破滅の美学を内包しているからではないだろう。

      
思春期にこの詩に触れた少年なら、悲恋のセンチメンタルと美しいひなげしの花が咲く情景のロマンティシズムに圧倒されたはずで、破滅の美学として把握していただろうか。
あるはこの詩を好む者が全て破滅の美学を闇のように心に抱いているといのは、少し飛躍が激しすぎはしないか。思春期の心情を考えれば、今のこわもての小沢からは想像もつかない感受性豊かな少年が浮かんでくる。
      

わたしはむしろ小沢はかなりナルシストでロマンチストのような気がする。そうとらえれば、自分の思うようにならないときプッツンしたり、平気で再編統合を執着もなくできるのであろう。自分の「絵」に絶えずなにか新しい期待を託さざるをえない不安、これがロマンチストの「悪癖」の何物でもない証明のように見える。権力よりこの新しい「何か」への期待、これが保守政治家であるにも拘わらず並の保守政治家と異形の軌跡を描き、凡人にはわかりにくくしているといっていいだろう。

    
その点、「自民党をぶっ壊す」といいながら、自民党を強化し自民党に留まり息子に地盤を譲った「変人」小泉純一郎とは径庭の開がある。また、『ゴルゴ13』を愛し、詩などひとつも読んだことのない麻生などより、人間の深みを感じさせる所以となっていよう。

      
福田の見方が索強付会なのは、小沢は「しかし、政治家は劉邦でなければいけませんがね」と政治家としての心情は項羽を否定していることを敢えてみていない。
      

その他福田は小沢の防衛論や国連主義?を批判して、国家像がなにもないと断じている。わたしも小沢の中で違和感を覚えるのはこの辺ではある。しかし政治家としてみれば、相対的にしろ独自に国際貢献と防衛問題を分けて提案している政治家自体が少ないわけで、とりわけ麻生を優位に称える理由にはならないだろう。

      
わたしは、別に小沢一郎を擁護したり信奉したりするために書いているわけではない。
今回のカッコつきの西松献金虚偽記載事件に際して、国家権力の恣意的な政党政治への介入と、メディアの旧態依然の権力の走狗に危機感をもったからである。

      
小沢でなくとも、野党側の誰かであったとしても今回の事件にには同じ態度をとったと思う。

      
福田和也が小沢を嫌いなのは勝手である。
しかしこの事件をどう保守言論人として捉え、考えたのかほとんど明示せぬまま小沢の誹謗中傷だけを書くのであれば、山崎行太郎氏の指摘どおり福田は終わったと断じざるをえない。福田は良質な保守ではなくただの権力迎合派だということである。
(以上)