岡田大臣の英断を賛美する−外務省記者クラブ解放

流石に「原理主義者」だけあっておみごと、岡田氏の決断を歓迎する。
昨日からネットでの批判は炎上しており、民主党幹部はよく解っていたようだ。
トウィッターで、民主党若手議員藤末健三など何人か同調してこの件を官房にに解放に向けて整えるよう意見をあげているという動きもあったようだ。


この解放を潰そうとしたのは、平野官房長官だということがわかってきて、どこでもトップの戦略を理解できない茶坊主がいるもので、どうもこの平野は事務的補助は優秀らしいが、戦略には縁遠い能力らしい。


さて、この件でわたしはネット上を駆け巡る解放論にもちろん賛同するが、ただ問題の勘違いがあるように思っている。


それは、ネットジャーナリストの神保哲生上杉隆の勘違いでもあるのだが、少し手前勝手な正義のすり替えがあるように思う。


本来、記者クラブは新聞社を中心とした16社が開催権をもっており、政府や民主党が開催しているわけではない。


民主党の記者会見がオープンだからといって、直ちに民主党政権だから同じようにクラブ解放でないのはおかしいという理屈にはならないのだ。あくまで政府と既存記者クラブの問題なのである。


どこの業界も先行利得というのはあって、既存メディアはそれなりの先行投資とリスクのもとにこの記者クラブを維持してきたわけだから、そこが後発メディアに対して防衛的対応をするのは当然といえば当然である。


したがって、神保らインターネット報道協会は政府へではなく記者クラブに対して解放を要求して交渉するのが筋であり、できれば出版雑誌協会などと呼応して第二記者クラブを作って政府へ「国民の知る権利」を掲げて記者会見の要望を出すべきである。


民間企業であれば、後発は先行利得者を突き崩す場合は、受益者に対して新たなベネフィットを提供しなければならない。この場合の受益者は国民であるわけだから、ここで初めてメディアと政権の癒着という弊害や、民主党の進める政策妨害がどこで発生しているかなどのディスクロージャーによって国民と民主党両方に利益があるという正論が成り立つのである。


これに対して、官房が記者会見が重複するので新たな第二記者クラブは対応できないといったなら、これは明らかな民主党の公約違反といえる。


あるいは約束通り対応するが煩雑なので従来通り一本化でいく、といのであればこれは政府に仲介させる正当性がでてくるわけだ。


すなわち、神保らの論理は「対権力」という単純図式に持ち込んで正義を演出しているが、自らは権力の力によって自分達の利権を保証させようとしている点で、全く既存メディアと同質であり、クラブ解放の論理の中にそれらを凌駕する正義を提示できたわけではないのである。


わたしちは、ひとつの戦いの中ではいつも何を越えていくのかということが大事なのだ。着地点は同じであっても神保らの発言の中にそれが見られないのは残念である。