ブロガーはプロフィールぐらい書けよ

少しブログに慣れたが、どうもこの世界はやはり信用ならない。

というか、信用度合いの高い情報と、デマか本当かわからないようなところが
いただけない。


実名で成り立っているブログは、当然責任主体として、発信情報に責任を持つ
ということだから問題ない。
メッセージ内容がダメでも低レベルでもそれはそれでかまわない。


問題は、そこそこ専門的で内容が高度なものである。
自分の理解可能な分野はいいとして、専門分野外の場合は信憑性があるのか無い
のか解らないから、読む時間が無駄だと見限ってしまう他はない。


わずかに判断根拠は、プロフィールでどのような立場にいて、どのようなライフスタイルの人物かによって、メッセージのマッチング度合いから内容の信憑性や特定の組織の仕掛け人かどうかをチェックしうるにすぎない。


もつとも虚偽のプロフィールである可能性もあるから、これでも信憑性のチェックにはならないかもしれないが、それでも社会経験と常識を駆使すれば、それなりの臭いは嗅ぎ取れるものだ。


ということで、メッセージを読んで欲しければ、その信憑性の手がかりになるプロフィールをある程度公開して欲しいと想うのである。


名前ではないのよ、メッセージの内容だけがよければそれはそれでテクストとして評価すべきなのよ、などとバカなことを言われるなかれ。


そのメッセージが、特定の政治的党派的意図をもって仕掛けられているかどうかが問題なので、それが見えない場合は虚偽捏造記事に対して判断のしようがないだろう。ヤバイかどうかがわからなければ、ネット言論は著しく信用性を失う。


ライターの責任主体が判らないということは、三流週刊誌やイエローペーパーと同じで、いつも眉に唾して読まなければならない。そんなもの余程暇人か与太話好きしか着いて来ない。


新聞記事のライターが何故署名入りになってきたか考えてみるがいい。
「あちらでは皆署名入りで、日本は署名がなくて、だから無責任な記事ばかり」書けるのだとのたまってきた結果ではないか。


ネットがまともな言論空間になり、信用度のある知的飛躍のツールになるには、少なくともプロフィールの最低限の開示を条件づけるプロバイダーの配慮が欲しい。それがプロバイダーにとっても健全な環境を維持し将来的にも広告収入を保証していく道のように思うのだが。