郵政問題と鳩山政権の性格

マスメディアが支持率を発表したが、微減ではあるが未だ高止まりだ。
未だ、といっても発足からまだ一ヶ月ではあるが。
しかし、当初の約80%近い数字からすれば落ちてきている。
やはり、スタート時点のもたつき観とマスメディアの軽薄な印象操作による結果があるのではないかと推測する。


特に、内閣の意志決定プロセスのメッセンジャーであり、印象の演出を担うキーマンである平野官房長官役不足は否めない。


彼は鳩山由紀夫の世話焼きではあったかもしれないが、鳩山総理と内閣の番人ではない。
いち早く、鳩山の献金問題隠蔽のため既存メディアと記者クラブ現状維持で手打ちをするような点は、政権交替を支持したものたちに失望を与えた。


まずあの年になって、あの地味な陰鬱で人をひきつける笑顔を持たない人物が、内閣のキーマンに座り続けることに危惧を強くする。


ただわたしは、民主党内閣側の失点は今のところ眼だったモノは無く、やはり相変わらずマスメディアが日々のニュース商品の穴埋めのために、大衆にわかりやすいステロタイプな絵解きを無定見に垂れ流しているための影響が大きいように思っている。


わたしは、政権発足当時、MIXIの方には次のように書いた。
すなわち、民主革命政権だとか、リベラル政権の誕生だとかいう期待過剰な左派と歴史がわかっていないエセ右翼が揃って見当はずれなことを言っているわけだが、民主党鳩山政権の性格は厳密にみれば小泉政権のエセ保守に対して「真正保守」である、ということである。


それは、郵政民営化が端的に示しており、マスメディアや自民党などが騒ぎ立てる「脱官僚」を言いながら齋藤社長(元官僚)をもってきたなどという批判も全く間違っていると思うし、八ツ場ダム問題やJALの解決方向をみてもはっきりしてきている。


特に問題の郵政の社長に齋藤氏を据えた問題は、単純な「官VS民」という単純な小泉が多用した二項対立で捕らえられない問題なのだ。


確かに、齋藤社長は元財務省(大蔵省)出身だが、財務省の典型的な思想を持っている人物だという点が特色である。
彼は細川政権時代、小沢を口説き国民福祉税構想をふちあげた人物のようだが、これをみても財務省のポジションに拘る典型的人物とみえる。
すなわち、財政均衡を保ってこそ財務省は他省庁の省庁として超越的に存在感をしめせるのであり、他省が予算拡大を目的にしている方向とは対極にある。


従って、財務省にとれば、他省の特別会計による「勝手な」財投は財務省の支配(健全財政化)を逸脱し、しかもそれの損失は財政均衡を乱すものとして排斥されなければならない、というのが立場である。
現に、財務省郵貯国債購入や財投債を縮小していく方向性をとろうとしてきた。
財務省と郵政省は「犬猿の仲」なのだ。


そういう意味で、亀井−小沢は合意したはずで、財務省もこの人事で積極的に支えることになるだろう。この人事は落としどころとしては「正解」という他ない。
民間人、しかもダーティバンカーの異名をとる西川の次に、民間人を持ってくるのは、再び利権企業が群がるイメージを植えつけるものでもあるからだ。


先頃も、あるブログで竹中などの説を真に受けて、180兆円はいずれどこかに投資して民間運用しなければならないのだから、そのまま西川でよかったと専門的な知識を交えてわたしにしつこく反論してきた者がいた。


たしかに着地点は似たようなところかもしれない。
しかし郵貯180兆円は、曲がりなりに一国の財政から見た場合は、母屋の債務負債残高を補償する機能をはたしているわけで、これは米国の対日要望書にあるからといって、民営化でそのまま垂れ流していいはずがない。


国家的資産として国民の監視と理解の下に運用する必要があるということではないか。
すなわち、株の政府保有をとりながら、財務内容の透明化を図る株式会社方式によって、国営企業として財政健全化にリンクさせるという政策とみれば、この人事がただの「官VS民」や「脱官僚」に反するなどという単純な人事ではないことが推測できる。


小泉竹中らが、米国の要求を野放図に受け入れアメリカへの直接的売り渡しに対して、亀井−小沢は真正保守としてナショナルな枠組みをとった違いともいえる。


JAL再建問題も、小泉に重用され、前原の私的タスクチームとして入り込んでいた連中が、盛んにデルタ航空などアメリカ企業への売り渡しのアドバルーンを揚げては様子見をしていたが、急遽財務省に再建主導権が移されたのも、鳩山政権の基本がどこにあるかがよく解る話である。


なおこの件で、いろいろな識者の論考があったが、わたしと全くといっていいほど近い見方の論考があった。上久保誠人氏(早大助教)である。細部を参考にさせていただいた。