■民主党菅財務相就任を歓迎する

ひとことで言って、的確な人事であった。

1.マスメディアで言われているほど、鳩山さんの内閣での求心力が落ちていな  いことが理解できる。


2.マスメディアで言われるほど、影で小沢一郎が操っているわけでもない。
  鳩山、小沢ともが述べているように内角と党務の分業ができていることが
  理解できる。


3.菅財務相が官僚を使いこなすという意味で、脱官僚を強く意識している人だ  という点で、藤井さんよりより問題がはっきりしてくる。
  特に、財務省をそとつの特権的扱いによって、他省庁のコントロールをする  といういびつな傾向に歯止めをかけて、公務員制度改革につなげる可能性を  期待できる。


4.鳩山、菅、仙石と体質的にも政策的にも比較的同質の三人が、うまく絡み合  うことで強力な内閣になる可能性もあり、はっきり55年体制新自由主義  的政策と決別できる可能性をもった。


問題と課題は、菅財務相が、政策的にはメディアで官僚対決を面白がられるほどの財務省とかけ離れておらず、むしろ財政均衡論者である点である。


長期的にはそれでかまわないが、当面は成長分野への強力な財政投資をできるかという点であり、特に日銀の一貫として後手に回っている金融政策をどうコントロールできるかという力量である。


個人的には、何度も書いているが、早く複式簿記に切り換えて、本当の我が国の財務と資産はどうなっているか、だれもが同一データで論議できる状態をつくることである。論者によって、財務残高がまちまちで、特別会計がどうなっているのか未だによく解らないという官僚操作を全面的に解消して欲しいものだ。


なお蛇足だか、菅さんは市民運動からの出身である。苦節40年にして、現実的な政治権力を手にした。
もともとの民主党設立の陰には、元東大全共闘のメンバーの地方自治運動のネットワークが元になって結党されている。


近頃出た小熊英二の著作で、小熊が評価するベ平連などの市民運動とは全く異質なのである。
小熊は、鶴見俊輔吉川勇一ベ平連の実態が共産党の分派共労党を隠してソ連極東政策に結果的に合致したことには触れない。またそれを隠蔽しようとする鶴見の証言を鵜呑みにしてカノン化を図っているが、小熊は歴史家を気取るならもっとしっかり事実確認をすることである。


全共闘の人達の中には、こうした既成の政治コミットを感性的に嫌う人も未だにいることも事実で、わたしなどはその感覚もよく理解できるのだが、ともあれこの現実の権力奪取はいろいろの意味で評価に値する。


シングルイシューの社会運動は、元ベ平連などの系譜ではなく、多くが元全共闘の個人的誠実で担われている。当時の全共闘が既存のパターン化された「政治」から遠いスタイルを創出しようとしたかを理解できない小熊などには、解らないだろうが、今その流れの一部が、戦後政治の決算と生活の価値基準を変えようとする言語外の政治感覚にフィットしている、というリアリズムである。


全共闘運動を担った人達の中からは、こうした言説もまた批判の対象になることも解ってはいるが、現実の政治権力に届かなかった運動を総括して、既存の日本型政治のパターンからずらして、新しいスタイルを持ち込もうとした人達もいたことも事実であり、これはこれで評価してもよいのではないか。


上述のように当時はまだ期待感をもっていた。
蛇足を書いている今は、2012年10月12日である。
この間、菅直人小沢一郎の総裁選があり、菅直人が選出され総理大臣に就任。一方小沢一郎は、ささいな政治資金収支報告書の記載問題を検察とマスコミと共産党他市民主義者たちエセ左派勢力によって、魔女狩りのような猛烈なバッシングの嵐にさらされていく。
このバッシングで日本のリベラル派として政権をとった民主党自体が、実は法治国家としての罪刑法定主義も被告人推定無罪も全く定着できていないファシズム政党であったことがはっきりしてしまった。
菅直人は、財務能力の無さを官僚につかまれ、以後徹底した官僚との妥協に終始する。
小沢一郎は結局秘書の報告書の記載ミスでしかなかったわけだが、世紀の冤罪事件によって、検察の仕掛けた罠にのった菅直人ら主流派とマスコミと共産党とエセ左派言論人たちによって総理総裁の可能性を奪われてしまったのである。民主主義の遂行を叫んできた政党が、あっという間にファシズム政党に転落したが、それだけではなかった。総理の座についた後は、ことごとくマニフェストを破り、官僚に好き放題にまかせるという信じられない暴挙にでるのである。結果支持率は10%台まで落ち込み、3.11東北大震災とフクシマ原発事故で情報隠蔽をはかり、多くの被曝者をうんだ。僅か1年の短い総理のあいだ、戦後最低の総理のひとりだという評価が定着した。
さらに小沢派のマニフェスト実施要求との権力闘争では、一貫してマニフェスト反故を貫き、とうとう小沢派の約50議員の集団離党にいたった。
菅直人の個人的資質もあろうが、市民主義派がこうした現実政治によって全く無能をさらけだしたことをしっかり総括しておく必要があると思っている。

わたし個人は、ご祝儀としてこの菅直人支持を書いたが、小沢バッシング時点から民主党の対応自体を批判し、小沢支持検察民主党糾弾デモへ参加するようになった。
いわゆる民主主義勢力が総崩れとなった小沢冤罪事件は、日本の政治と思想を思考するにあたって、今後なん人だりとも無視しては通れない。これを無視した言説はもはや政治学でも思想でも社会学でも文学でさえもない。

そういう意味で、菅直人が総理大臣だった一年は、日本の政治と社会のエポックを負性において象徴しているといってよい。