■エゴイストの町村信孝クンらしい−小沢一郎批判で昔とった杵柄を振るうのか?


小沢問題に血道を上げる自民 町村

●アンタが言えた義理か
 予算ホッタラカシで鳩山献金、小沢問題の追及に血道を上げる野党・自民党。利権とカネまみれだった過去を棚に上げ、久しぶりの晴れ舞台とばかり国会でエラソーに話す姿にはウンザリだ。なかでも見逃せないのは町村信孝・元官房長官だ。

小沢幹事長に、政治倫理審査会や予算委に出て説明をするように勧めるべきだ」。25日の衆院予算委で鳩山首相にこう迫った町村。前日のテレビ番組でも、小沢の資金管理団体陸山会」による不動産取得について「自分のお金で、自分の名前で登記すればいいんですよ。何で政治資金団体というものをわざわざ通すのか」なんてシタリ顔だった。

 ところがだ。この男、自分も小沢と“同じこと”をやっているのだ。町村が代表を務める資金管理団体「信友会」は01年、北海道江別市の不動産(建物)を1000万円で取得。登記上の所有者は町村にした。しかし、収支報告書をみると、この建物は01年12月の新築なのに、取得の時期がズレている。さらに、この物件は07年に町村本人に600万円で売却されているのである。

「収支報告書を読む限り、町村は1000万円の政治資金で自分名義の建物を新築。その後、400万円安く“買い戻した”と見られてもおかしくはありません」(政界関係者)

 町村事務所は「建物は運転手の事務所に使っていた。07年の改正政治資金規正法で、政治団体が不動産を持てないと分かり売却した。売却価格が下がったのは減価償却した」と説明している。

「信友会」はほかにも、政治資金で東京・六本木の高級会員制クラブ「ヒルズクラブ」の年会費(25万円)などを払っている。「何で政治資金団体というものをわざわざ通すのか」という言葉。ソックリお返ししたい。
日刊ゲンダイ2010年1月27日掲載)

町村信孝クンについてWikiにはこんな風にかいてある。

1968年11月、東大経済学部ストライキ実行委員会の一人としておよそ1ヶ月のストライキを打っている。1969年1月、秩父宮ラグビー場にて東大7学部の学生・教職員9千人が参加した“大衆団交”では議長役を務め、大学自治の議定書である「東大確認書」には経済学部代表として署名している。


現代史をしらない若者にはなんのことだかわからないでしょう。

要は東大闘争の安田講堂決戦前より2ヶ月、ストライキ解除派が加藤一郎学長代行の呼びかけに呼応して台頭してくる。

一つは共産党民青でありもう一つが右派秩序回復派である。

民青は全共闘派の立てこもる学舎を包囲し、兵糧攻めにしたり出入りの学生をリンチしては、全共闘派に奪われた主導権を自分達に取り戻すための作業にやっきになっていた。

もう一つの右派秩序派はいわゆる卒業をしたくて、政府の意を受けた加藤代行と意を通じてバリケード破りをしようという連中だ。
バリケードスト権に投票していたが、卒業を目前にエゴイズムを優先した人たち。
(単純にこの人たちを俳愚人は否定していない。その撤退の仕方を問題にしている。)

町村クンはソチラの「七学部代表団」という非合法のデッチアゲ組織の代表で、東大闘争の妥協的収拾書とでもいうべき’69年1月10日集会の代表として「十項目の確認書」にサインした本人であるということだ。

構図としては共産党と加藤代行のでっち上げた組織に、右派秩序派学生が乗っかって、政府と東大当局と共産党の野合によって大学改革を葬り去ったということになる。

「七学部代表団」は民主的に選ばれたわけでもなんでもない。

後でわかるのだが、この「確認書」には大学当局内部からも欺瞞的だと疑義がでていた。

教養学部西村学生部長は次のように書いている。

「大学当局も、入試復活を第一目的とする学生たちも、機動隊に守られた七学部集会の成功を喜んだ。
しかも、その集会での団交の成果としての確認事項には、『大学当局は原則として学内「紛争」解決の手段として警察力を導入しないことを認める』という一条が含まれていたのである。」
(東大職員広報紙『弘報』、島泰三安田講堂』より孫引き)

そして一週間も経たない1月18日・19日の二日間、機動隊は導入され世紀の安田講堂決戦が演じられた。

この記事はこのような現代史の背景を踏まえて読むと現今の政局も色鮮やかに本質が浮かびあがってきますね。

で、町村クンがこの東大時代のことを書かれるとき、かれは民青だったという誤認が付きまとうのだが、町村クンの名誉のために言っておけば、決してそんなことはなく、あくまで今の町村クンらしい秩序派=エゴイストであったということが実像です。

誤認の原因は、先に述べましたように政府・大学と共産党の野合に一般学生といわれる秩序派町村クンが乗っかった形になったからだと推測できます。

今の共産党幹部はこの頃ストライキ破りを実働部隊として担った東大出の党内官僚が主導しています。
ですから町村クンなどと思考方法と政治感覚が通低しているところがあります。

どんなところが?
「東大出はえらいのだ、政治的支配とはわれわれだけのもので、そのほかの下々のバカが何をいうか、下々にはちょっと金を握らせ、マスコミを使ってウソ記事で風を吹かせれば意地汚いやつらだから下僕になるものさ。この風を吹かせる−と言う言い方は検察のリークのことを内部で言う隠語らしいのですが。

共産党幹部の方は労働者はバカで無知だから革命だって指導権は我々だけに許された特権なのだ」というものです。

いわゆる民衆蔑視ですね。

さて、このとき全共闘派を熱烈に支持していた右翼三島由紀夫は次のように述べています。

東大問題は、戦後二十年の日本知識人の虚栄に充ちてふしだらで怠惰な精神に、決着をつけた出来事だ、というのが私の考えである。


また島泰三さんは、以下のように述べています。長いが引用します。

近代日本の教育過程では、『人間性の尊厳』あるいは三島由紀夫の言葉ほ借りれば『人間性の恐ろしさ』についての教育が、一貫してまったく無視されてきた。そこでは、わちしたち人間の善も悪もまるごと教える、あるいはまるごと体験する学習が欠けていた。
そのために、個々人がその精神の成長過程の間に世界観を作り上げる作業を行うてがかりさえ失っていた。
日本の教育は、ただのクイズとその回答集になりさがっていた。」

「重要なことは、それはまた、そこに滞在するものたちを腐らせてしまわずにはおかないシステムだった。
(中略)
そのことこそが、東大闘争のなかで東大教授たちが示した、三島が言うところの『虚栄に充ちた怠惰な精神』を説明するものであり、卒業と就職へ雪崩をうって転げ込む東大生の堕弱な精神を説明するものであり、その程度の精神の持ち主をその社会の指導者(かつての軍の参謀たち、労働運動指導者たち、高級官僚たち)としなくてはならない戦前を含む現代日本の不幸を説明するものである。
(中略)
その『虚飾に充ちたふしだらで怠惰な精神』を文章で示して見せたのが、『七学部代表』による『十項目の確認』と加藤代行によるその『解説』である。」(以上全て『安田講堂』より)

島泰三さんの言い方を借りると、町村クンは、こうした東大で精神がダメになってしまった典型の人物のようです。

彼は文部大臣を二回やっていますが、ネトウヨみたいな思考の硬直化した若者を大量に作ったのは、町村クンと’70年以降の日教組の合作かもしれないという疑念に囚われる俳愚人でありました。

なお、島泰三さんは安田講堂に立てこもり、逮捕懲役2年。霊長類研究者、理学博士。