普天間移設問題の勝利とはなにか?−既存「政治」を超えて

■「辺野古」「県外に分散検討」で日米大筋合意
(読売新聞 - 05月22日 22:58)
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完全な安保マフィアの勝利となるのか。

それにしても、沖縄の人たちは何故不退転の決意を示して、政治的勝利を獲得する戦略戦術をもたないのだろうか?

基地は生活問題だとといいながら、やっている反対運動は旧態依然たる旧社共のたんなる示威行為だけだ。つまり集会と流れ解散。

まず、反対運動の統一的司令塔を構築し、リアルメディア訴求とネット発信をセットで刻々と既存政治家の動きに合わせて、意見発信をすべきだろう。
つまり沖縄をアメリカからのくびきからの開放という視点をもたず、また日本人全体の解放でもあるという思想を放棄した既存政治家からの「政治」の奪還でもあるということを明確にする司令塔の創設であるということだ。

仲井真知事らは、結局どこかで沖縄を高く売りつけることしか考えていない。県議会も似たり寄ったり、最後は利権誘導で県民は納得すると想っている。

本土、とりわけ東京での全沖縄県人の決起集会と在住者の草の根反対運動をやらないのか?既存政治家など社民党をみても全く信用できないではないか。なぜ首都を揺るがす一大デモンストレーションをやらないのか?

このままでは、この問題の磁場は反対派からは作られず、常に政府既存政治家主導で世論集約が行なわれてしまう。

この敗北は、残念ながら、沖縄県民が本土とともに日本人の思想としてのアイデンティティーを回復する思想の放棄が強まっているのではないかと疑問視せざるをえない。

この闘いは、とりもなおさず沖縄県民が主体的に担う中で、沖縄と本土の安保マフィアを追い詰め、一方本土の人間の加害者性を炙り出しつつ連帯するしか「政治」的勝利はないからだ。

沖縄学の祖伊派普猷(いはふゆう)は、島津討伐から沖縄戦までを通じて、戦前からの沖縄差別を糾弾し、「一部の人々の都合のいい奴隷になってたまるものか」(「琉球民族精神分析」)と絶望のなかで絶叫し、『おもろ』のなかで次のように歌った。

沖縄御間切      おきなわおまぎれ
心一つならば、    あよふてならば
苦世す甘世なさめ。  にがよすあまよなさめ
直り世は実に     なおりよはげに
是からど始まる。   これからどはじまる

また50年代の朝日訴訟の原告阿波根昌鴻(あわこんしょうこう)の銃剣と不当逮捕にもかかわらず日米政府に突きつけた崇高な原則を、もう一度反芻すべきである。

人間性においては、生産者であるわれわれ農民の方が軍人にまさっている自覚を堅持」すべきこと、
「人間は生まれながらにして自由であり平等」であり、
「人間であるという自覚の上にたって米軍に当たるべきである」と説いて、「沖縄における一方的布令はアメリカの誇る民主主義の原理に反」すると主張している。

米軍との間に、「おじけることなく肩を張り(中略)、目は相手を見つめ相手を良心的に圧倒する」運動を展開しようとした。

そして72年沖縄返還の折、沖縄青年同盟は復帰を拒否し、沖縄の独立を訴えた。

真久田正は、国会において佐藤栄作総理の復帰宣言を高らかに宣言しようとしたまさにその時、爆竹を鳴らしてやまとんちゅうに回収されることに抗議し、逮捕後は法廷で琉球語を使って陳述、法廷は混乱した。

それによって日本国家への復帰が、少数民族抑圧にしか機能せず、国家一般の幻想性は琉球人には何の意味ももたらさないことを鮮明にしたのである。

その後沖縄県民は、現実的な選択をしつづけた。
すなわち、諦念と引き換えに日本政府、安保マフィアからの利益供与である。

それに浸りきった政治は、その抑圧の切実さを薄めていったのも無理からぬことではあるが、本当に生活問題だというならば、それは本土の人々や本土在住沖縄県民との連帯を是非企画すべきではないか。

勝利するとは、あくまで基地撤去ではないのか、政治的に勝利するとは、既存の「政治」を超えていくことではないのか。