■残暑お見舞申し上げます−靖国神社参拝にて詠む−

政局も民主党代表選の結果を待たない限り、ただの憶測にすぎないと思いますのでしばらく静観です。

日頃訪問いただいている方々には残暑お見舞申し上げます。

mixiの内輪では好き勝手毎日書いておりますが、ブログはオープンになりますのでそうもいきませんのでちょっと休業。

私事ではありますが、遅ればせながら初めて靖国神社を訪れました。

みたま祭の前日ということもあって、大層賑わっていました。靖国神社そのものについてはいろいろ問題を含んでおり、未だ未解決のままのようです。

それはそれとして実際訪れると、ご遺族の献灯や参拝の姿をみるにつけ、戦死者を政治的イデオロギー的に利用したり評価したりすることから解き放ち、素直に追悼し、ご遺族の慰撫をしたいという気持ちになります。

日本人だれもが素直に追悼し、もつて亜細亜の戦争死亡者をも同時に追悼できる道を模索しなければならないのですが、加藤典洋さんの提起した問題が誤解されて、左派からの相変わらずのイイデオロギー的批判に晒された後どうなったのか。

90年代の左翼転向組の右翼跋扈もいまや現実に失効を宣告されてかつての勢いもなく、その似非右翼ぶりは良質な保守派の一部からも批判されつくした。

こういう不毛な紆余曲折を靖国神社は背景として存立しているのだが、戦死者の遺族も死に絶える時代だから、そのなかで追悼という意味もおのずから変質していくだろう。

いま定見をもたないが、まず日本の戦死者を利用する左右両派と、特定の既存宗教は意見を控えていただき、広汎な追悼施設をつくってはどうかと思っている。
目的は「国家」の物語から死者を一旦清算することが現実的ではないのか。

条件は死者の追悼だから、仏式がいいだろう。
また昭和大戦(わたしは日中から大東亜戦争をこう読んでいる)だけの戦死者とし、対象は日本人軍人・軍属と民間人、亜細亜日本国籍軍人・軍属と民間人、つまり当時の日本人とその被害者全員とする。

別枠で戦犯もいれといたらいいのではないか。死んで既に仏様である限り。

思いつきを書いたが実はこんなことを書くつもりではなかった。
久々の俳句作品がメインである。

 

 −靖国神社にて−

青嵐鳥居をくぐりまた鳥居

金色の菊の紋章夏至暗し

大扉開けて濁世の梅雨晴間

みたま祭さほど祈らぬ参拝者

軍服や遺影のなかの衣更

軍神の像より高く夏燕

ぎこちなく笑う老兵夏日影

それぞれの死に際あらむ草いきれ

   *

句友大道寺将司が重病である。

 −お見舞 大道寺将司君へ−

睡蓮の夜のつづきを詠わんか


(注)俳誌秋号の先行発表とします。
   著作権法により無断コピー転戴を禁じます。