■与野党とも浜矩子さんの提言を傾聴せよ−国会「ねじれ」問題

われらがマドンナ妖女浜矩子さんの快刀乱麻が炸裂、深く頷かされる。

『時評2010−「豪直球型コアビスタシオン」』(中央公論2010,9月号)で、浮薄なマスメディアとそれに浮かれる評論家や識者と言われる売文業者を一刺しにして葬っている。

なんのことか?
そう、民主党参院選敗北後の参議院衆議院与野党議席をめぐる「ねじれ」という把握の仕方である。

「ねじれ」という言葉には、どうしても「正当でない」というニュアンスがつきまとう。
正しくないから、まっすぐになるよう、なおさなければいけない。そういう含意がそこにはある。
(中略)
両院常時一致でなければいけないのであれば、そもそも、何のために二院制があるのか。
最初から全く同じ考えと行動原理で動く者同士の間でなければ何事も決まらないというのは、いかにも知恵のない話だ。発展性もない。多様性の中の一致を探り当てることが出来てこそ、政策論議というものだろう。

と述べて、巷間流布されている「ねじれ」問題の陥穽を鋭く批判している。
政治家もマスメディアも「ねじれ」をさらにねじり倒して連携や再編の政局に矮小化する話ばかりで、生産的でないと言う。
国民は本来の政策論議を期待しているのであって、民主党政権運営がスムースにいくかどうかなんてことは、二の次の話だということだ。

そして浜さんは、与野党を一刀両断する。

与野党いずれも「ねじれ」カードにおける試合の仕方を誤解している気がしてならない。
クセ球を投げなければいけない。相手を翻弄しなければいけない。速い球できりきり舞いさせなければいけない。
そんなことばかり考えているようにみえる。
場合によっては、消える魔球だって投げようかというような何でもありのムードが漂っている。

と警戒しつつ、「ねじれ」国会だからこそ正面切っての勝負をして欲しいと注文する。

ようするに与野党の相手への誠意と知的誠実さと迫力がなければ、おそらく泥仕合に終始し、まともな決着などつくはずがないと予見する。

浜さんの予見通りなら、それは国民にとって不幸このうえない愁嘆場となろう。

浜さんの言を借りれば、選挙前から連立を騒ぎ立てていた枝野や安住など民主党若手がいかに議員としての見識を欠いているか解ろうというものだ。

この「ねじれ」に対するフランスの場合を次のように紹介して、三流といわれる日本政治に渇を入れる。

ちなみに、フランスでは大統領と首相の出身政党が違う状態をコアビタシオン(cohabitation)ということは周知の通りだ。コアピタシオンの「コ」は「ともに」の意、アビタシオンは「住む」の意だ。要は共存である。この感覚は「ねじれ」の含意とは随分違う。困ったものだと思いながらも、何とか、共存の道を探り出す。

付き合いにくい同居人と住まうことになってしまったが、それはそれで、どうにかうまくやって行く方法を見出そうという感じだ。

日本政治にも、豪直球型コアビタシオンの心意気を示して欲しい。

と結んでいる。

国会議員のセンセイ方は、年収で3000万円以上も国民の血税をつかっているのであるから、よーく浜さんのいうことを傾聴していただきたい。

なんでもオバマ大統領の年収と同じらしいじゃないか。
世界へとはいわないが、彼と同じ程度には日本国民への影響力をもって欲しいものだ。