■民主党代表選−小沢優位という不安

小沢氏が一歩リード を毎日新聞の調査が報じている。

小沢氏のテレ朝スーパーモーニングの出演もみたが、はやり政策や現状認識の詳細で菅総理を圧倒している。

菅総理の方がパフォーマンス上手だし、計算された演出と小沢のウィークポイントを突いてくるアメリカ大統領選並みの舌戦をするのだが、全く存在感が虚ろだ。

原因はなにか?

菅総理の言うことが殆ど官僚の描いていることと同じで、官僚の言葉だからだ。

小沢氏の噛み締めるような一言ひとことが、何度も民主党が主張してきた政策をさらに具体的に述べていて凌駕している。
菅派やマスコミが批判するようには空論とも聞こえず、実現可能に思わせるから不思議だ。

特に財源問題は、流石に政策に通じる小沢氏で、批判そのものが的はずれである。
すなわち、無駄を削れば出てくるという意味は、官僚利権とセットになった補助金を止めて、地方交付金として地方に使途を任せれば裁量的経費は今の7割ですむと主張する。

小沢氏はこれを空論ではなく、ちゃんと地方の首長のアンケート回答を押さえた上で言っており抜かりない。
また一般会計と特別会計を更に完全一体化することと、官僚意向が入る大臣予算を総理自身が優先順位をつければ、それ程苦しまずにマニフェストは実施可能だと述べていた。

ネット界隈では、とうとう陸山会の4億円問題が、会計処理方法(小沢事務所は現金主義)の違いで、問題なく整合性がとれていることも証明され、いよいよ冤罪の可能性が高まった。

小沢氏も起訴されれば同意して法廷で無実を証明したい、と逃げずに受けて起つといっている。

小沢氏優位と流れが変わってくるとたちまちマスコミも中立を心がけようとするところと、益々読売のように菅総理の名前露出を多くして、小沢氏の報道にはネガティブな一言をつけて印象操作に努めるところと割れてきた。

検察審査会は、やはり問題だし論議の対象になるでしょうと小沢氏は言うが、これは見直しを示唆している。当然のことだ。

もし小沢新総理が誕生すれば、今までのマスコミの犯人扱いの報道と、それに乗っかり小沢バッシングに走った国民B層は、自分達の罪をどう償うというのだろうか。

再び知らぬふりをして、何事もなかったように、半年もたたないうちにダメな失敗だけをあげつらい、成し遂げた事案の成功も前進も報道せず、次の劇場の主人公を狩猟しはじめるのだろうか。

それとも小沢氏に政界引退まで、法治主義も民主主義もかなぐり捨てて「金と政治」で追い掛け回し、言論テロをしかけるのだろうか。

一見菅VS小沢両氏の対決のようだが、実は法治主義の国民VS魔女狩りのマスコミと同調国民B層の決戦であるということだ。

無意識に洗脳されて、何か小沢氏がダーティで何かあるんじゃないのと少しでも思った国民は、審査会の不起訴不当により再起訴をされても、小沢氏が再び証拠不十分で無罪となったときは、どう責任をとるのか。

そういう事態になったとき、マスコミと同調国民の社会ファシズムが一時列島を席捲したことを以って、日本人の民主主義の受容は虚構であったことが暴露されてしまうのだ。

その瞬間、戦後65年間民主主義のために出世も家族も犠牲にして闘った人たちの人生の意味は半減するのである。

だから小沢氏は有罪になって欲しいといっているのではない。

小沢氏無罪という事態に推移し始めたので、マスコミはこのことをすっ飛ばしてやり過ごすごそうとすることで、質の悪い橘や青山や星や屋山や三宅やなどなどの言論が生き残り、追随した国民が愚者の楽園になることを恐れるのである。

彼らと洗脳国民の去就がみものである。