■仙石官房長官「暴力装置」撤回−相変わらず日和見主義者

仙谷氏「暴力装置」直後に謝罪
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仙石は、だからダメなのだ。

結局、救対委あたりでウロウロして、東大闘争が本格化したときには、司法修習生になるために中退して逃げ出し、己の保身を優先することしかできなかった。

活動家になりきれなかったただの法律オタクでしかなかったのだが、そういう中途半端な言動を生涯抜けきることができない。

軍が暴力装置であることは、社会学はじめ人文科学では定説であり、どうして撤回する必要があるのだ?

突っ込まれて、説明しきれないような言葉はそもそも使うべきでない。

突っ込んだ自民党の質問者某は、バカ丸出し、不見識もはなはだしい。
こいつは大学出ていたはずだが、余程不勉強だったと思える。

仙石を非難している無知蒙昧どもと国会議員が同質では、民主党の適当無責任政治を凌駕できるわけがない。

「暴力」の概念は、殆どの学生が読んだことのあるマックス・ウェーバーの規定した概念である。

ドイツ語では、Gewalt。組織的物理的執行権力を言う。Machtも暴力だが、これは日本語でいういわゆる物理的破壊力ないし圧迫をいい、個人的に奮われる暴力の意味に多くは使われる。

暴力を統制するためにはより強力な暴力、すなち組織化された暴力(Organized violence)が社会の中に準備されなければならない。それが軍隊や警察だ。
国民国家の必須要件である。

中国の軍事的攻撃があった場合、自衛隊がボランティア組織でどうする、えー?!

暴力装置であってもらわなければ、中国の暴力に対抗できないだろう。

山口組など暴力団6万人が、裏社会から表社会を全てコントロールして、日本政府を無効化したとき、警察力が暴力団を上回る暴力組織でなくてどうして国民国家を守れるのだ?!

共産主義国家が崩壊したとき、ソ連では内戦状態になった。このとき、ソ連軍の中が割れて、民主化推進派に加担したソ連軍が多数を占めたために守旧派が制圧された。
それによって、民主化推進派のエリツィンは政府を樹立できた。

100年前には、ロシア帝政をボリシェビキが倒して、赤軍が白軍を制圧したからレーニンら貧民が政府を樹立できた。

東欧革命も、軍が国民の味方についたから自由化が実現し、現在の自由主義国家が成立しえている。

これが、70年前のプラハの自由化運動は、全国土を自由を求める国民が政府打倒を叫んで埋め尽くしたが、ソ連軍の侵攻で圧殺された。

このとき、チェコ軍が国民の味方をしてソ連軍と戦えば、チェコはもっと早く自由主義国家が成立していたはずだ。

平和ボケした日本国民は、自衛隊が災害救助ばっかりしている姿しか知らないから、軍の本質規定さえも忘れ去っている。あるいは、あらゆる政治場面でそうなのだが、本質と向き会おうとしない。

政治家だけがアホなのではないのだ。
こういうごく基本的なことから逃げて、言葉が「不快」だとか、「自衛隊」に失礼だとか、情緒的な幼児性に甘んじている国民が多数を占めているあいだは、経済一流、政治は三流と中国あたりに舐められるのである。