■バルカン政治家菅総理と密通する朝日新聞の破廉恥

今週の「週間ポスト2月4日号」が、菅総理と朝日の聴くに耐え得ない事実を報じている。

そこまでして、野党時代の自分の発言と行動をかなぐり捨てて総理の椅子に坐り続けたいのか?!

ここまでくると、菅直人精神疾患人格障害にかかっているのではないかと、本気で疑わざるをえない。
週間ポストは次のように書いている。

今回の内閣改造には大メディアが大きく関与している。与謝野氏が読売新聞の渡部恒雄・グループ本社会長と極めて近いことはよく知られている。だが、菅首相に直接、与謝野起用を進言したのは、読売のライバルの朝日新聞の編集幹部*1だという。

菅側近が打ち明ける。

「改造前に総理が最も憂慮してしていたのはメディアの風当たりが強くなっていることだ。そこで昨年末に各紙の幹部とお忍びで会談を重ねた。

中でも総理が信頼する朝日の編集幹部は、消費税引き上げと環太平洋戦略的系罪経済連携協定(TPP)セットへの参加、小沢切りの3点セットを断行すれば菅内閣を社をあげて支援すると約束して、与謝野氏を強く進言した。

読売がこの人事を歓迎するのは想定内であったが、”天下の朝日”の後押しが迷っていた総理を動かした」

この編集幹部は紙面でも、民主・自民の大連立など、菅長期政権の可能性に言及している。*1

意図は読売も朝日も、増税のためには最強の長期安定政権を作らなければならないと考えているようだ。そのためには、小沢切りを徹底しないと、「最強の態勢」ができずつかの間の内閣と消えるためだ。

ここには、口では権力チェックがジャーナリズムの使命だとか、国民の知る権利を保障するのだとか、きれいごとの大儀名分とは全く程遠い、小汚いフィクサーの役割でしかなくなっている。

いざとなると、「自由と平和」や「民主主義」を論調としてきた朝日が、国民の政権交代の期待を平気で裏切らせ、国民の気持ちや生活を返り見ないただの親米隷属のエリート特権意識の新聞屋でしかなかった。朝日のリベラル派的なポーズは、売文におけるポジション確保のためのものだったために、いとも簡単にジャパンハンドや新自由主義へ擦り寄って、新たなポジション確保に走っている。
新米従属保守の読売を今やしのぐ勢いである。

都合の悪い政治家がいれば、人権も法治主義憲法違反の政倫審も、すなわち民主主義そのものをかなぐり捨てることを権力に進言し、ときの政権と密通する恐ろしい政治主義を露呈する。

新聞ジャーナリズムが、政治が未熟だとか、小沢一郎が古いだとか、えらそうなことが言えるのか?!


同じ構造の問題をもう一つ。

全共闘派は、40年前に、東大教授を頂点としたアカデミズム知識人に同様の虚偽をみた。市民主義やなんとなくリベラル派が掲げる思想の実体は、権力の側に組して、大衆の希望を切り捨てていくもであることを。

前千葉法務大臣が、大臣前は死刑反対のあなたがなぜ最後はサインしたのかと問われたとき、

大臣の<立場>にたったときは自分の考えではいかない、立場上の判断がいるのです、と答えていた。

わたしは激しく脱力した。

全共闘運動とは、まさにその主体を放棄した<知>を問題にしたのであったから。



結局日本のエリート層は、思想などというものはないのだ。

<立場>とは、日常の諸関係を秩序付けていく権力の体系に無自覚であり、その歯車として主体を放棄するか、自発的に権力構造の走狗となっていくことを無意識とする態様のことである。

権力が露出したとき、日本では一貫として知識人も市民主義も権力に屈して、進んで権力に加担していくのである。

なお、前千葉法務大臣は、中央大学時代には社学同旗派の勉強会へちょこっと顔出ししていたようだ。

民主党には、自己保身を乗り越えて、本気でモノゴトに取り組むタイプはおらず、どうも様子をみながら、運動の周辺で保身を図った連中ばかりのようだ。

「左翼崩れ」にさえなれなかった、風見鶏ばかり。

無責任なテキトーな連中でしかない。

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*1:朝日の編集イデオロギーを知るには、ブログ「永田町異聞」2011,1,23付「『天声人語』に垣間見る知米家と知日派の風景」http://ameblo.jp/aratakyo/entry-10777032065.htmlが参考になる。