■菅の側近中川右介のアナクロと無思想-「週間朝日2011,2,25号」

とうとうPCがダウンした。一ヶ月はまともな記事はかけないので、ツイッターのコピペでしのぐ。
省略ゆえの意味不明と、呟きの乱暴なものいいに辛抱願いたい。




週間朝日、中川右介とかいう菅直人の側近?アナクロと脳味噌発酵してますな。キチッと批判はブログでしたい。全共闘の詐称だ、それともインタビュアーが知らないのか?菅直人全共闘じゃない。「しがらみ政治対自立した市民」が対立軸だと。そんなものが政治の対立軸にななる訳がない。アホ丸出し。



続週間朝日、中川右介菅直人の誤認は、自立した市民が自分で投票者を決める人だと。以前は会社や町内会や労組がしがらみとして影響したのは、まだ共同体の紐帯がそこに有ったからに過ぎない。資本が貫徹し共同体が壊れアトム化し個人が浮遊して組織票が選挙基盤にならなくなっただけ。自立間違い!



続々週間朝日、中川右介談。菅直人の政治家としての出自が天下を取れるかの実験だったと。そんな実験誰も望んでいない。出自が意味を持つのは、出自に見合った政治を実施した場合だ。市民活動家なら市民生活第一の政治でなければならない。財界官僚と米国への優遇ばかりで、「革命」とは言えない。
以上ツイート。


この最後の段で中川の述べていることは菅直人の特色を本人は意識していないが端的に語っている。
要するに、郷党の代表としてのエリート政治家ではなく、戦後勃興してくる都市中間層を基盤に政治家として上昇できるか?ということに賭けてきたといっているのである。
残念ながら、そんな実験なら田中角栄ですでに終わっている。


既に識者から批判されているように、目的は地盤カンバンのない普通の市民が政治家として権力をどこまで掌握できるかということが目的化されている、ということを吐露しているのだ。
政策や国民生活への強烈な思いがあって変革の闘争を邁進してきた政治家ではないことだ。


中川の述べていることは、菅は私利私欲で総理になったのではないと述べるが、意識し権力者になりたいと思わなかったとしても、それが目的化した理念を歩んできたと言っているのであって、はからずも矛盾を露呈している。


同世代として菅の言わんとすることはわからないでもない。
しかし、同記事のコラムで菅の批評を書いている御厨貴(東大政治学)が指摘するように、そもそも全共闘世代というなら、全共闘運動の基本理念であった直接民主主義が堅持されなくてはならない。


全共闘の正統的な活動家で代議制議会政治の場へ入っていった人物を寡聞にして知らない。それはひとつの「転向」(転向は意味として既に無効であったが)であって、70年代で余韻の覚めやらぬ時期に菅のような選択はとりえなかったはずだ。

保守派や右翼は勉強不足だから、こうした菅一派の全共闘詐称も見抜けず、あまつさえ仙石あたりにもレッテルを貼ってトンチンカンな批判を繰り返している。
まったくこの国の思想をしない連中とはいい勝負だ。


市民派を騙るなら、菅直人血税で連夜の高級料亭やホテルレストランでの飲食だけでもやめて、ノブコ婦人の手料理でつつましく、友達夫婦を演じてみることだ。無能だがまだ好感度ぐらいはもたれるかもしれない。


思想しないマスコミと思想があるかのように全共闘派を詐称する総理の下で、困窮し困憊するのは年収400万円以下の中下層市民なのである。


また前原、枝野、玄葉、安住など若手を育てるまで5〜10年かかる、それまでは総理として彼らを育てたいと考えている、と中川は言うのだが、こんな人格は貧相にして法治も民主制も知らずに小沢叩きをし、政策ではアメリカのポチばかり育てて育てるというに値するのか。


御厨の指摘どおり、「ひと」などは本人が身を引けばおのずと現れてくるものだ。へたに子飼い意識を持った場合、後継人事の確執と紛糾が待っていることは企業の派閥抗争をみても明らかだ。


菅や中川が政治を語れば語るほど、40年間夢の中に固着し、大衆から何も学んでこなかったことを識るのである。