■民主党会派離脱16人は勇者か?


民主党会派離脱16人について、わたしは趣旨は理解するが、ただの政局流動化へ
問題を矮小化するものだと再三tweetしてきた。

この行動が、小沢の腹心の
指導で、計画案が平野一郎だと解ったとき、いよいよ小沢は古い政治とレッテルを貼られると危惧した。

小沢支持者からは、絶賛されたが、小沢支持者のわたしは組みさなかった。

平野の次々に自分の画策だと裏舞台を暴露し、尊大を装う自己宣伝に嫌気がさしたこともあるが、経世会得意の手法は小沢が目指す古い政治を越えるものではないからだ。

理由はtweetをみてくれたらいい。
簡単にメモだけ記しておく。

1)16人は今までなんの政治活動もしていない。予算と選挙が予想されるタイミングでの決起は保身を疑われる。

2)執行部は、マニフェストに甘さがあり、現実的なものに修正する必要があったと「正論」を吐いた。それに対して、ただマニフェストを実行しないから会派離脱といっても、「正論」を受け入れた国民には何の説得力もない。

ただマニフェストを実行せよと喚いても論理的に実行できないと数字を示しているマスコミと官僚のプロパガンダの前にはただの頑迷な原理主義者としてしか表象しないのである。マスコミの力を甘くみてはいけない。

修正事案ごとに、国民へ実行可能性を数字をもって説得しなければ、なんの政治効果をもたない。

実はこれこそが、新しい政治なのだ。
論理には論理、政策には政策を透明化しなければならない、これが選挙や利権では政局になる。

批判論理を国民へ差し戻し、晒して判断を聴く循環的構造が日常の政治活動の中で図られねばならない。代議制の場合特に意識化されなければ政党政治の良さが生かされない。

つまり市民社会における政党の成熟度である。

そういう意味で、この16人には決定的に今の政治課題が解っていない。小沢派は旧経世会へ逆戻りしてはいけない。

パソコンが修理中で他人のブログをみてなかったか、ふと見ると、「世に棲む日々」田中宏和氏が全く同じことを、わたしより激しく批判していたので参考に紹介しておく。

http://critic6.blog63.fc2.com/?mode=m&no=469

この問題に賛同しなかった小沢支持者は彼とわたしの2人ぐらいのものだった。