東電社長来訪に「何しに来た」
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昨日加藤登紀子さんが京都でライブをした。
終えた後に夜桜と三日月が美しいが、心なしか人の出が少なく寂しい感じだとツイートしてきた。
そこで私は、藤本さんがいたらもっとよかったのにね、とリツイートした。
今朝加藤さんから、そんな切ない事いわないで、と再びツイートがあった。
私は、しまったと思い、慌てて、すみません他人が言うべきことではなかったよね、と謝った。
藤本さんと加藤さんの存在自体が、私にとって青春のメモリアルだと思っていたので、私の感情だけでつい軽い発言をしてしまった。
しかし加藤登紀子さんにとっては、藤本敏夫の名前を聞くたびに声にならない慟哭に震えるのだろう。
身を切られるような淋しさに襲われて、いまだに眠れぬ夜を過ごすこともあるのだろう。
そんな本人の気持ちを推し量ることもできず、申し訳なかったと痛切に思う一日となった。
さて、前置きが長くなったが、東電の今日に至るまでの傲慢な対応や、原発反対派の前佐藤栄左久知事を陥れて冤罪をつくったことは大犯罪だといえる。
しかし同時に、この期に及んで、福島県知事と県が何をいっても心底同調できない。
東電が曲がりなりにも謝罪行脚することは、東電の今のトップの作法として当然だし、それをなじってもどうにもならない事態だろう。
それよりも、福島県は、これまでに何度も原発の津波対策ができていないという専門家の指摘や地元住民の運転差し止め訴訟を起こしたにも拘わらず、全く無視し続け、なぜ正常な思考を停止してきたのか?
他者からみれば、安全だと嘘をつき続けた東電も東電だが、福島県も福島県だとしか思えない。
謝ったり怒ったり、感情のやりとりはもう通り越した地点に至っているのではないか。
福島県は被害者面だけして、東電をなじる資格があるのかということをよく考えてみることだ。
原発の危険性に警鐘をならし、撤去を求め続けてきた住民を無視し、東電に加担してきたのは福島県ではなかったのか。
東京都も福井県も島根県も、原発推進派現職首長が再選された。
それは都民や県民が、今の時点では、東電や関電や中国電と共犯関係にたったということである。
しかし、個別の原発政策は政策として、ストップをかけることはできる。
是非、福島県民の苦しみをわが事として、考え行動して欲しいと思う。
電力が不足するなら、石原都知事の言うように、パチンコや自販機や過度のイルミネーションは消したらいい。
何十年にわたる苦しみに比べればしれている。
参考までに以下の記事を備忘録がわりに記しておきます。
2007年2月、静岡地裁で開かれた中部電力浜岡原発運転差し止め訴訟の法廷。
当時、東大教授だった原子力安全委員長の班目は、「割り切った考え。すべてを考慮すると設計できなくなる」と言い切った。
非常用電源などの機器が同時に機能喪失する事態を想定していない理由を問われ、そう答えたのだ。しかし、福島第一原発が大津波に襲われる可能性は繰り返し指摘されていた。
「過去に起きた大津波について、全く触れられていない。納得できない」
原発の耐震設計を見直すため、2006年6月に開かれた経済産業省の専門家会合。
産業技術総合研究所活断層地震研究センターの岡村行信センター長は、東電が示した福島第一の見直し案を厳しく批判した。
(略)
翌月まとまった報告書には結局、盛り込まれなかった。
大津波を想定した対策は先送りされたのだ。吉井英勝衆院議員(共産党)は、5年前、津波や地震で原発の電源が失われる危険性を指摘した質問主意書を出した。だが、政府の危機感は薄かった。答弁書は「原子炉の安全性は経産省が審査し、その妥当性を原子力安全委員会が確認している」と木で鼻をくくったような内容だった。
(読売新聞「検証東日本大震災」2011,4,10日曜日)