首都圏を台風直撃 改札に殺到
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颱風がくるとわくわくする。
子供のころ学校が休みになるかなーとか、風で傘がひしゃげて飛ばされただけで興奮する事件だったり、
友達とキャーキャーいいながら帰ったものだ。
我が家だけ低地にあってちょっと雨の多い颱風だと、すぐ床下浸水になって、家族大騒ぎ。
強風で外がみえるくらい戸板がしなるのを必死で飛ばされないように押さえていたり、苦労が絶えなかった。
何度も父から子供に避難命令が出て、近くのお寺のお堂に逃げ込んだこともあった。避難すると我が家の兄弟だけでバツの悪い思いをしたり。後で悪童たちにお前逃げたんだってなと冷やかされ悔しい思いをした。
しかし去った後のあの秋晴れのスカッとしたまっ青の空をみるとなんともすがすがしかった。
空気は澄み、すべての風景が鮮明に輝いていた。
ドラマは颱風が去ってからだった。
田んぼの中に屋根が飛ばされてきていたるところに落ちているのだ。
当時は安普請の家屋ばかりだから、簡単に屋根がとぶ。
床下浸水を他人事だと思って興味本位で見に来る近所の下世話なおばちゃんたちに、母はプライドを傷つけられて心底怒っていた。
そのかわり、戸板や屋根を一度も飛ばされなかった我が家を誇らしげに自慢していた。母の実兄が建築会社をしていて、釘を一本も使わない在来工法の家を作ってくれたためだと、ことあるごとに自慢した。
飛ばされた屋根を見ては、あれは誰さんとこの、こっちのは誰さんとこのと勝ち誇ったように指差して嗤った。母のささやかな復讐なのだ。
颱風がいくつか通り過ぎると、急激に秋は深まり、中秋の月は煌々と富士山を照らすのである。
あのころに比べると今や颱風で屋根が飛ぶ家はなくなったが、昔から家を建ててはいけないと伝承された場所へも、流入人口が増えてどこもお構いなしに人が住んでいる。
その結果、被害の規模はむしろ大きくなる場合があるようにかんじる。
首都圏がマヒして、人々が右往左往しているニュースをみると、大変だなーと思いながらも、どこか心のなかでいいよいいよーとつぶやいている自分がいる。
人間の過剰さを吹き飛ばせ、吹き飛ばされたものは所詮不要なのだ。
野分して看板斜めの党となる 至高