国旗国歌斉唱起立拒否教員への東京都教委処分をめぐる最高裁判決

まずお知らせ。
遅れてきたポストモダン=大阪ハシズムの教育破壊が始動しました。

国歌起立斉唱、全教職員に職務命令…大阪府教委
(読売新聞 - 01月14日 14:51)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1877658&media_id=20

以下はMIXIの若者向けにとりあえず書きなぐったものなので、意味不明や事実誤認があるかもしれないのでお断りしておきます。

国歌斉唱起立を支持する若者は、わたしのカテゴリーでは宮台眞司が規定するハルマゲドン系人間が多いように見受ける。
ハルマゲドン系というのは、先般書いた「終わりなき日常を生きろ」(mixiで紹介した宮台の著書と同名の記事)の中で書いたタイプの人をいう。要は理系の社会科学的訓練ができていないため簡単にオカルトに参ってしまうような、「外部」を夢想して、他人の生き方の脚を引っ張る迷惑な奴、ということです。
「外部」の夢想は自分勝手にどうにでも夢想できるから、普遍性や歴史性とは関係のない奇妙奇天烈な言説を平気で振り回し、他人の生活理念を排撃して傷つけたりするのである。つまり寛容さをもって共生できないことを特徴とします。


さて、東京都教員の処分をめぐる最高裁判決。
ここでは学校行事に国家行事を持ち込んでいるか、また学校教育に国歌国旗を「強制的」に持ち込み、「違反処罰」を国家権力が強制しているかという観点に限定しており、市民社会内での一般論と混同しないようにしましょう。

個人的感想は、ややこしいから、みんな座って歌えばいいんじゃないの?
まあ冗談半分としても、なんで立って歌う必要があるんだ?
頭堅そうだねー、大人たちは。笑

最高裁はさきの国歌斉唱の強制は違憲でないという線から、起訴教員の処分の妥当性について判決をだした。

判決は戒告取り消し一名、過去歴ある一人には停職を認めた。

判決では、停職3カ月の女性教諭と停職1カ月の女性教諭との間で明暗が分かれた。3カ月の女性は過去に、国旗を引きずり降ろす妨害と不起立などで計5回の懲戒処分を受けていたが、1カ月の女性は不起立のみで計3回の処分。悪質性の観点から「停職期間の長短にかかわらず、重すぎる」として、1カ月の女性の処分は取り消された。
(産経新聞記事より)

ただ、それなりに苦慮したなと思われる点は、戒告は裁量権の範囲内で違法でないと都教委の処分を認めはしたが、戒告以上の重い処分は慎重でなければならないとして、裁量権の濫用を戒め実質上戒告どまりにしておきなさいという点だ。
すなわち「停職や減給とする相当性を基礎付ける具体的事情が必要」として一定のハードルを設けている。

戒告とは、校長に口頭で注意を受けることだ。しかし昇格なんかにはマイナス点となる。

しかし、橋下大阪教育条例は三回違反はクビだからかなり乱暴な処分で、慎重とは言えず、この最高裁判決に明らかに抵触するだろう。
民間並みを橋下はよくいうが、民間でもこんな程度のことでクビにはしない。

最高裁判決自体をわたしは問題であると思っているから、処分の程度にいくらかの配慮があってもそれ自体を善しとはしない。
それでも現場の教師の立場からすると、この判例は善かったのではないか。
微妙だけど…。
なお昨年の起立斉唱自体の違憲訴訟では最高裁判決は、あくまで儀礼だから思想信条までを侵すものではないという主流派の合憲判決ではあったが、弁護士出の判事一人が、付帯意見で思想信条を侵害していると反対している。

どのような高度な政治思想も表現しようとすると、投石、わめく、走るなどの単純な身体行為にならざるを得ない、という吉本隆明の言葉もあり、この学校行事が儀礼的にすぎないから外形的行為を要請しているにすぎなく思想信条侵犯ではない-といえるのかどうか? 少し疑問ですね。思想信条はその人の身体行為でわかることが多いからだ。

ただ個人的には、国旗を破るとか引きづり下ろすとかは、スマートじゃないので感心しない。
もっと、父兄や生徒を巻き込んで学校行事での国歌斉唱問題の核心的思想そのものをしっかり拡大再生産するやり方があるはずだと思っている。


日本人は自由と民主主義を求めて必死に努力してきた。
いつの間にか、北朝鮮のような国旗を掲げ勇ましく国歌斉唱し、強権独裁者を求め、北朝鮮化したがる人たちが増えた。由々しき問題だ。

ちなみに学校行事に国旗掲揚とか国歌斉唱とかの儀礼を持ち込んでいるのは、後進軍事国家やアジアの一党独裁国家ばかりで、先進国特にヨーロッパ諸国の民主主義が勃興した国にはほとんどないことを付記しておく。 極めつけはアメリカで、合衆国最高裁では国旗を踏みつけようが焼こうが個人の自由であり、国家そのものを否定することが自由の権利として認められる判例が存在している。従って議会や大統領令で学校教師に義務として課し、違反処罰まですることはありえないのである。

(参考)
出典:『内閣総理大臣官房審議室、および外務大臣官房儀典官室による1985年資料「諸外国における国旗国歌について」』

1)学校教育での国旗国歌の取扱い(主要40ケ国在外公館調査)

a.ヨーロッパの立憲君主国では学校での国旗掲揚や国歌斉唱をすることが殆ど無い。

イギリス:
 普通の歴史と音楽の授業で取扱い、学校行事では掲揚せず歌わない。

オランダ:
  特に教育する事はない。学校行事で掲揚や歌唱という事も特にない。

ベルギー:
  国旗掲揚の義務はなく慣例もまちまち。国歌は教育されていない。

スペイン:
  学校での規定はない。

デンマーク
  特別の教育はしない。普通の授業で言及。国歌は行事で殆ど歌わない。

ノールウエー:
 特別な教育はしていない。両親が教えて子供はすでに歌っている。

スウエーデン:
 教科書に無い。国旗は教師に一任。国歌は学校で特別に教えない。

b.ヨーロッパの共和国ではむしろ革命をおぼえて( ママ)国旗国歌を強調する。しかし、例外がいくつもある。次のとおりである。

ギリシャ
 学校での規定はない。

イタリア:
 教科書には書かれず、それによる儀式は行われない。

スイス:
  学校内で実際に国歌を歌う事は殆ど無い。

ドイツ:
 各州の権限で決められる。

オーストリア
 国旗は学校で特に扱われない。

ハンガリー
 教科書では取り扱われていない。

旧ユーゴ:
 強制はない。教科書での取扱いも学校行事での使用もなかった。

c.アジア・アフリカ地区では、学校での教育を求めている事が多い。

d.米州・オセアニア各国での例

カナダ:
  国旗も国歌も学校と特定の関係が見られ無い。

アメリカ:
 国旗が掲揚されるが儀式強制はない。国歌は学校と特定の関係が無い。

キューバ
 国歌は学校での規定はない。

オーストラリア:
 国旗を政府が提供。掲揚も国歌も各学校に委ねられている。

ニュージーランド
 学校のための統一された規準はない。

2)国歌を国民の慣習に任せ、政府が追認指示するのみで、正式の法律・勅令・大統領決定・最高議会決定で制定していないおもな国

大韓民国インドネシア・タイ・イスラエルエチオピア・エジプト・イギリス・オランダ・イタリア・スイス・デンマーク・ノールウエー・スエーデン・フィンランドオーストリアハンガリーブルガリアキューバニュージーランドチェコ・旧ルーマニア
(40ケ国中21ケ国:1975年調査を1985年修正)


アメリカでの判例

1943年 バーネット事件 連邦最高裁判決
 「国旗に対する敬礼および宣誓を強制する場合、その地方教育当局の行為は、自らの限界を超えるものである。しかも、あらゆる公の統制から留保されることが憲法修正第1条の目的であるところの、知性および精神の領域を侵犯するものである」(ウエスト・バージニア州 vs エホバの証人

1970年 バンクス事件 フロリダ地裁判決
 「国旗への宣誓式での起立拒否は、合衆国憲法で保障された権利」

1977年 マサチューセッツ州最高裁
 「公立学校の教師に毎朝、始業時に行われる国旗への宣誓の際、教師が子どもを指導するよう義務づけられた州法は、合衆国憲法にもとづく教師の権利を侵す。バーネット事件で認められた子どもの権利は、教師にも適用される。教師は、信仰と表現の自由に基づき、宣誓に対して沈黙する権利を有する。」

1977年 ニューヨーク連邦地裁
 「国歌吹奏の中で、星条旗が掲揚されるとき、立とうが座っていようが、個人の自由である」

1989年 最高裁判決(国旗焼却事件)
 「我々は国旗への冒涜行為を罰することによって、国旗を聖化するものではない。これを罰することは、この大切な象徴が表すところの自由を損なうことになる」

1989年 最高裁判決
 上院で可決された国旗規制法を却下。「国旗を床に敷いたり、踏みつけることも、表現の自由として保護されるものであり、国旗の上を歩く自由も保証される」

1990年 最高裁判決
 「連邦議会が、89年秋に成立させた、国旗を焼いたりする行為を処罰する国旗法は言論の自由を定めた憲法修正1条に違反する。」


 「世界の国旗掲揚国歌斉唱に関する諸外国の判例事例」藤森修一調
http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/aoyama-col1200.html
 教育基本法の再改正を求める会」ブログmai
http://kokoro-no-jiyuu.blog.so-net.ne.jp/2008-04-08

要するに日本は近代化を国民がになったのではなく、武士・貴族階級が上から強制的に国民国家を作った残滓がこういうところに出てきて、残っているんだね。つまり教育は幕藩から国家とその国民を作るための手段であり、学校が直接国家支配イデオロギーを植え付ける場にされた。

こういう個人の信条を外形的行為として表現することを罰するのが民主主義国家にとっていかにおかしいかは、自分が北朝鮮の学校へ行かされて北朝鮮の国歌を起立斉唱させられ、キムジョンウンの肖像画へ敬礼させられることを拒否して、強制収容所送りになることを考えれば容易に想像がつくはずだ。

あるいはそういう北朝鮮国民が弾圧を受けて、強制収容所送りになったり死刑になったりすることは民主的でないと思うだろう?

それくらいの想像力がはたらかない奴は強制収容所へ送られてしまえ!笑

さて、市民社会内での国歌国旗はその国の立国の遺伝子に関係しており、「社会」が同朋と協働で作り上げたというメンバーシップを強力に維持している国は国歌国旗への忠誠がその証とされている。同時にそれ故に国家よりそのメンバーの自由を抑圧することはメンバーシップに反するとして個人の自由の権利擁護を強く求める。ここにはメンバーは「対等である」という暗黙の前提が根拠となっている。
しかし、国民が同朋で「対等である」という認識の薄い社会では、メンバーシップが成立しておらず、メンバー個人の不利益への鈍感、不自由への抑圧を簡単に認めて、排除しようとする。
だからアメリカのような強力なメンバーシップにより独立戦争をした人造国家ほどメンバーシップへの忠誠を強く表現しようとして国旗への敬礼を確認し合う。国旗へ敬礼するメンバーへは最大限の利益と自由を保障しようともする。

本の学校での国家行事や違反処罰の混乱は、諸外国の例をみれば簡単にわかることは、愛国心育成とは名ばかりで、学校教師への管理強化が主目的とされていることであり、強制も反対もでてくるのはそこが真実だからである。
まず愛国心とはなんなのか?
先の大戦の敗戦国として共通部分のあるドイツを参照しながら、愛国心の中身を問い続けることの方が先である。
そのような教育キャリキュラムの不備が現代史教育の欠落となって表れており、それが国民的無知を招き、イデオロギー政治的対立となるのだ。
中国韓国の高校生と比較すれば、明らかに日本の高校生の現代史理解は劣っている。彼らの史的認識への反論さえもできないありさまなのだから。


【追記】

本日1月18日の「琉球新報」には判事の補足意見が載っていたので引用しておく。

桜井龍子裁判官は補足意見で『東京都は不起立1回目は戒告、2、3回目 は 減給、4回目は停職とする方針がうかがえ懲戒権を逸脱している』と批判。都教委は早急に処分方針を改めるべきだ。」


宮川光治裁判官の反対意見だ。『教員の精神の自由はとりわけ尊重されなければならない』と全ての処分が違法とし、職務命令自体も違憲と主張した。」

2019,3,30付け東京新聞の記事をリンクしておきます。
「日の丸・君が代」教員らに強制 ILO、政府に是正勧告
www.tokyo-np.co.jp