朝までダラダラTV、その後橋下支持者とバトル

NHKの若者(1970年以降生まれ)の討論番組が面白かった。
正月番組の再放送らしいが、とても個性的な連中で、またわれわれのころと違い、とても議論のしかたがスマートになっていて感心した。

われわれの頃は、むやみにみんな力んでいて、相手と対立すればすぐ掴み合いになったもので、自制をしらなかった。

内容は、各界のプロのようだが、さすがにわたしのような専門外のものでも、勉強不足じゃないかと思わせる連中もいて、ついつい突っ込みたくなった。
それを何人かの優秀な専門家がフォローして論点を外さず進行していった。

私の世代のように、時代が熱気を帯びているということもなかったせいか、バブル後に思想形成した連中だから、少しシニカルで、それが当たり前のものとして、そこからスタートとして思考しようという態度はとてもいい。

世代間格差も、格差をルサンチマンとするのではなく、問題解決の事実認識として把握しようとするし、へたに老年世代から現在の享受を奪う発想もなく、自分たちはどう解決するかという前向きな論議で感心させられた。

考えれば、われわれ老年世代の方が異常な時代を生きてきたのではないか?
バブルもなく、デフレが当たり前という方がもともと当たり前の世界ではないのか?
高度成長期の日本人は興奮しすぎて生きてきたように思う。

もしパネラーたちのような若者ばかりなら、安心していい。でもたぶん少数派がたまたまその場では多数派だったのではないのか?
自己責任や、格差はあった方がいいとか、日本から出ていくのも当たり前でいい、とかいうパネラーが二三いたが、こちらがむしろ多数派なのではないか?
その危惧はぬぐえない。


後半から4CHみたら橋下市長を中心に反対派との討論をしていたので、つきあった。
相変わらず、橋下は自著のハウツー本のテクニック全開で反対者を凌駕している印象を与えていた。

大体、一人対複数という設定は複数ゆえにバラバラの印象を与え、個々の発言を弱める印象となる。

余談だが、俳句のテクニックに助詞「も」は禁止している結社もある。
「も」は、書かれていない別の何かを想定されるため、当該の単語を弱めるためである。

集中されないものはダメなのだ。

特に討論で橋下が頻繁に使っていたテクは、「架空の利益を与えて丸め込む」というもの。

区長は公選だから、区内の学校が国歌斉唱を罰しないと決めれば、区長が承認すればその自治区だけは罰しなくていい、と言うから、反対者はホッとしたような顔になる。
しかし、気づいたひとりが、指摘。それは都になったらの話ですよね、条例は今の市で適用するのでしょうと見破られて、バツの悪そうな小声でそうですと返事をしていた。

あるいは、随所で詰まると指摘される論点を無視、別の論点へ転換、自説をとうとうとまくし立てる。
あるいは現場の状況説明に切り替えて相手が現場を知らないから論点自体を無効化したような印象を作り出して、そのことには答えない。

あれだけ橋下は喋っても、いつも同じレベルの話で、前よりもよく煮詰まった話になっているなと感心させられるものは何もない。

特に橋下の関電対応の話だったが、いまさら電力の総需給関係を数値を出させるなどと意気込んでいたが、すでに国民は毎日のすっぱ抜きもあって、電力不足が作られた嘘であることは皆知っている。

橋下はそれを見て話し合いをしていくというにとどまり、どこまで本気かわからないなという印象をもった。
なにしろ彼の後ろには、堺屋太一と古賀茂明が顧問でいるわけで、関電と対決なんかまた人気とりのパフォーマンスに終わることが予想できる。
ここでも、「架空の利益で丸め込む」のだろう。

東浩紀は、静かに聞くにとどまり、問後は橋下の多くには理解を示していた。
さすが同世代のポストモダンか、分かり合ってしまうんだよねー、まずいね。笑
ただ東は、橋下にもっと柔らかく敵を作らずに話せないものかと注文をつけ、私が最も問題視している点、すなわち多様な考えがあることを認め、共生できる社会を目指す方がいいのではないか、その点だけおかしいと思うと批判していた。

この指摘にまた橋下はおかしな回答をしている。つまり逆手にとって自分の土俵をつくるというテクだ。

多様な意見があって、民主主義は意見ばかりいうだけでモノが決まらない。だから誰かが決裁権をもって決めないと改革は進まないのだと。

多様な意見や生活があることを、否定せず、尊重し、マイノリティに不利にならないような権力の振る舞い方を要請しているのに、橋下はズラして単なる意見調整ができない場合の選択決定権にすり替えて反論している。

思考訓練ができていない吉本的お笑いバカ若者は、橋下のデタラメを見抜けず、橋下がかっこよく反論していると思ってしまうのだ。情けない。

さすがにポスモダンの東浩紀でさえ、問題の核心は橋下が披瀝しないイデオロギー的な部分にあることを見抜いており、しかも制度改革や規律問題にズラしてそれを遂行する手法を危惧しているのだ。

いずれにしても、「橋下テク」の手法自体が「ハシズム」で、反対者が同レベルに取り込まれてはならないが、討論番組でどちらが正しいかという印象操作だけの視聴者には、禁じ手ではあるが橋下と同じ話法でコテコテに一方的に橋下批判だけ展開することも必要ではないのか?
蛇の道は蛇である。笑

終了後、ツイッターに変な若者が突っ込みを書いてきて、バトルになった。
ハシズム手法で返り討ち、私の完勝であった!爆笑