日々愚劣、橋下維新の会、利権陳情をマナー問題に矮小化!

橋下市長が謝罪…「維新議員、程度悪い」職員直訴
大阪維新の会」代表の橋下徹大阪市長に23日、市職員から送り付けられたメールには、維新市議団についての苦言が事細かにつづられていた。橋下市長はすぐに謝罪のメールを返し、維新も24日に全所属議員を緊急招集、注意喚起する方針を決めた。

 橋下市長は就任後、自らのメールアドレスを全職員に公開。内部告発や職務上の課題などを受け付け、独自に情報収集している。

 問題のメールは、橋下市長就任で与党となった維新市議団の振る舞いについて「一番程度が悪く、(要求などが)露骨になっている。無理強いが多くなった」と指摘。「内容を言わず呼びつけ、支持者を連れてきて我々を詰問するなど、民間では、ありえるんでしょうか?」と疑問を投げかけた。

 さらに「与党だから、むげに断れない」と苦しい心境を吐露し、「市長のお考えを理解されているのか、甚だ疑問を感じることが多いです。この実態を国民が知ったら、あきれるでしょう。与党の議員から改めてもらわないと、昔ながらの議会のままで何も変わらない」と訴えている。

 これに対し、橋下市長は「議員の態度振る舞いについては申し訳ない。代表として維新の会に伝えます」と返信。関係部局にも早速、改善策を指示したという。

(2012年2月24日08時02分 読売新聞)


読売はこのように報じた。

先日のTVタックルで福岡教授が、現地の報告を聴けば聴くほど維新の会の低劣は酷いと批判していたが、この問題である。

この福岡教授に対して、橋下はtwitterですぐさま「政治を勉強しているのか?」と腐していたのが昨日のことである。
こういう経過を知らないB層は、この記事を読んで橋下は謙虚な男で謝罪しているという印象をもってしまうだろう。

橋下はいつもこの最大限極端なことをいいながら、すぐ批判が出ることを織り込み済みで、いくらか譲歩しては自分の確実に確保する利益に落着させるというテクニックを多用する。

一昨日も尾木教授とのやりとりにしても、小学生の落第を最終的には確保した。
小学生のような一年一年が成長の速度の違いがでる若年時代、わたしは全面的に反対する。その落第によって、逆に生涯コンプレックスからぬけられず、その後の人生の40年を棒にふる児童がでることは考えないのだろうか?
勉学への興味は差の出る年齢である。進級させながら、補修コースを設けるとかやり方はいくらでもあるはずだ。この落第制度はいかにも競争と「格差」を好む橋下好みではあるが、かけがえのない一人の児童への配慮は「学力」という側面だけにに矮小化されている。
子どもには子供の世界がある。学力という側面だけで子どものコミュニティをこれ以上崩壊させるのがいいとは決して思わない(実際はほとんど崩壊しているが)。むしろ学力が「その学年ではない」かもしれないが、別の人格において子どもたちが相互承認しあう環境を整えることが大事であって、「学力」という計量で排除してもいいという社会を提示することは、子どもたちの将来の社会観や公共性の観点からマイナスでしかない。
ここには橋下も尾木も追随者も、内田樹氏が指摘する教育は自己価値付与という側面だけに矮小化された誤認が蔓延している。
何度も言うが、学力が問題になるのは、公共性の観点からであり、税金の公教育はそのために社会的に容認されているのであって、生徒の自己価値付与はその一構成要素でしかないのである。本末転倒が橋下教育政策なのである。


話を戻すと、この維新の会の議員団のご乱行問題も橋下は指摘されて激しく批判者をののしっているわけで、読売の記事の印象操作とはほど遠い。
しかも大事な点はマナーの問題に矮小化している。

橋下の新しい政治とやらは、新しい利権の付け替えを意味していたのか?
わたしは、少なくとも新しい利権の交渉過程を公開することだとは思わない。陳情というシステムは残したまま、維新の会議員団の利権を拡大することだったのか?これでは橋下の批判する市会議員-労組-地域の利権トライアングルが温存されたままであることは誰の眼にも明らかではないか。それを激しく悪魔だとののしったのは、橋下ではなかったのか!自分の利益に中身が改竄されればいいというのだろうか?
陳情方式はやめるべきである。

橋下は、マナーの問題に矮小化し、陳情の公開にすることに矮小化する。B層はその程度の改革を望んでいたのなら何をかいわんやである。

最後に、直訴の職員への維新の会の陰湿なパワハラがないことを願っている。仄聞によれば府庁時代には橋下配下の者らに目をつけられた職員がパワハラの集中攻撃があった。何度も繰り返されていいはずがない。