橋下の大阪府市「エネルギー戦略会議」の株主提案に期待したい

本日の大阪府市統合本部「エネルギー戦略会議」が原発に変わる代替えエネルギーの早期開発と、地元同意範囲を100キロ圏内にすることをとりまとめ、関電へ株主提案をするとの発表である。100キロ圏内とするのは、滋賀県放射能汚染シュミレーションをもとにしている。

わたしは、この件で初めて橋下市長を支持する。

飯田哲也氏をこの問題の顧問に据えた英断と、経産官僚上がりの古賀茂明氏をメンバーに入れている点はかなり原発マフィアには有効に機能するだろう。
飯田氏は長く脱原発をライフワークにしてきた研究者であり、古賀氏は原発を推進した政管財学のマフィアの関係と構造を熟知している。そういう点で、TPP推進論者としての欠点は横に置いといて、エネルギーの市場開放と競争原理は任せていいだろう。
使える人材は一点突破で使い切ればいい。

ただ、橋下市長は、再稼働する場合の条件は、「絶対安全」であることという会議の大勢の意見に対して、その文言を入れないよう要請しているという話も伝わってきているので、いつ財界の意向を汲んで妥協的な提案にトーンダウンするか予断を許さない。

フクシマ以降にも拘らず、地元同意を政府と北電が事故以前と同じ基準を適用し、泊原発の再稼働を実施したことを問題視し、再三地元範囲の見直しを主張してきた。
これは多くの人の常識であろう。この常識を政策的に明確にしたのは京都府滋賀県大阪府の三県が初めてではないか。問題の当事者福井県でも事故以前と同じ愚行を行おうとしている。問題外である。そういう意味ではこの三府県の連携とアクションは評価されていいだろう。

この原発自体の主観的なエリア設定が、いかに原子力という特殊性格にそぐわないものかを、フクシマ事故の一年前に著した本がある。まだ41才の若手ライター矢部史郎氏の「原子力都市」だ。

原子力施設や関係都市をめぐって氏が透視したものを提示したエッセイであるが、その新しい不気味な都市の未来を鮮やかに描き出している。ここには驚くべき鋭敏な感受性と思想性がある。

序文にはこうある。


原子力都市」は、ひとつの仮説である。
原子力都市」は、「鉄の時代」の次にあらわれる「原子の時代」の都市である。「原子力都市」は輪郭をもたない。
原子力都市」にここやあそこはなく、どこもかしこもすべて「原子力都市」である。それは、土地がもつ空間的制約を超えて海のようにとりとめなく広がる都市である。

 都市が尺度を失っているという主張は、ずいぶん拙速で観念的なものだと感じられるかもしれない。しかし、実際に街を歩いてみてほしい。充分に時間をとって何日も街を歩いてみれば、私が何を言わんとしているか感じてもらえるはずだ。

拙速でも観念的でもない、この矢部氏の感受のわずか一年後には、「みごとに」という不適切な語の使い方によって、それは証明されてしまったのだ。

こうした少数の預言者に耳を傾けることなく、日常のマフィアたちの言説にマインドコントロールされて安全神話を鵜呑みにしてきた。

こうしたことから最近つくづく思うのは、高度の科学技術も、高度に複雑化した社会システムも、蓄積された社会科学的原理も、生活者に理解不能な様相を深め、距離があり過ぎるように思う。
また専門家が知見を公共のものとせず利権集団化し劣化する時代に、どう対応すればいいのか。

宮台真司氏などが提唱する知のミドルマン(仲介者)の存在がますます必要とされるのだろうか。いまのところ一つの試行錯誤の域だろうが、党派的な政治社会運動が空回りしている現状では、有意義のように思う。

私が、孫のような学生諸君と自主ゼミや研究会をいくつも組織化し、市井のいちオヤジとしてアカデミズムと世俗の現実を架橋とする試みはその一つだともいえる。

矢部氏のような在野の若手が、アカデミズムに排除されることなく、もっと流通するように尽力することもミドルマンの務めかもしれない。またそうありたいと願っている。