フクシマ原発被災自殺者の補償提訴を叩く「普通の若者たち」

以下は私のMIXI上で体験した若者たちの生態?である。

変質した日本人はもう驚くに値しないのかもしれないが、それにしてももう私には理解不可能の若い世代の思考である。

まず備忘録として河北新報の記事、「渡辺はま子さん自殺の被害補償提訴」を記しておく。

福島第1原発事故で避難し、自殺した福島県川俣町山木屋の養鶏場従業員渡辺はま子さん=当時(58)=の夫で無職幹夫さん(62)ら遺族4人が18日、東京電力に約9100万円の損害賠償を求める訴えを福島地裁に起こした。福島原発被害弁護団によると、原発事故の自殺をめぐる訴訟は初めて。
 訴えによると、はま子さんは昨年7月1日早朝、自宅近くのごみ焼き場でガソリンをかぶり、火を付けて自殺した。
 はま子さんは原発事故で福島市福島県磐梯町に避難。その後、自宅に戻ったが、山木屋地区が計画的避難区域に指定され、昨年6月12日に新たな避難先として福島市のアパートに引っ越した。
 避難生活は気詰まりがして心的負担が増した。2人の息子と別居せざるを得ず、養鶏場も閉鎖されて職も失った。睡眠障害に陥り、うつの症状がみられた。原発事故に伴う避難生活が自殺を招き、相当因果関係があるとしている。東電は「訴状を受け取っておらず、回答を差し控えたい」との談話を出した。

<夫「悔しさを晴らす」>
 渡辺幹夫さんは提訴後、福島県庁で記者会見し、妻のはま子さんを自殺で失った悔しさをにじませながら、提訴に踏み切った心境を語った。
 「女房は避難生活で苦しんだ末に死を選んだのに、ただの自殺者で終わってはかわいそうだ」
 社交的で明るく、自殺と無縁と思った妻が自ら命を絶った無念に思いが至り、声を詰まらせた。
 「何もかも失った悔しさを晴らすために、裁判が長引いても最後まで闘う」と断言。「私のように苦しんでいる自死遺族も泣き寝入りしないで闘ってほしい」と語気を強めた。
 同席した福島原発被害弁護団の広田次男弁護士(いわき市)は「原発事故と自殺の因果関係は明らか。法廷の場で東京電力に責任があることを明確にする」と話した。
2012年05月19日土曜日

この提訴ニュースをめぐってMIXI上では300件以上の日記が立ち上がったが、その8割が金目当であるとか被害者づらして死んだ人間が生き返るわけでもないのに何考えているのかといった批判とも誹謗ともいえるものだった。

私は心底驚き、たまたま目にしたある教師志望の教育学部所属の女子学生に批判コメントを書き記した。

それに対して、私の足跡帳へ彼女が反批判をさらに強烈に書き記していった。
それが以下である。

素通りしてもよかったのですが反論を。
"一人を見捨ててでも全体を助ける"
当たり前じゃないですか、それが公としての教育です。
私は親ではなく教師として話をしてますので。
犠牲を憐れむ前に現実出来ることをするのが当然です。
死にかける生徒を置き去りにするか?
ええ、しますとも。その子1人に構って残り30人が死ぬほうが困ります。それでその子の親に悪魔、鬼と罵られようと甘んじて受け入れます。私には死にかける1人の子よりも残り30人の生徒を無事に避難させるほうが大事ですから。
選ばなくてはならないなら私は30人の子どもたちの無事を選びます。
あのニュースが嫌いだったのは自分だけが被害者面して騒ぎ立ててる周りが気に入らなかったからですよ。
確かに自殺するほど大変だった苦労は察しますがなんでも東電のせいにしたって変わらないでしょうに。むしろ東電を責めるより毎日一緒にいた自分を顧みれば?という話です。
公事と私事を混ぜるからこんな考えが出てくるのかと呆れただけです。公を責める前に公に私を持ち込む方が可笑しいです。
自分で自分を守れないから人に頼るとか愚か以外となにものでもないです。
更に私が理解出来ないのはこの方は訴えて何がしたいのですか?
お金が欲しいのか謝って欲しいのか、哀れんで欲しいのか…
どうしたって自殺した人は帰ってこないのに時間の無駄遣いです。そんな非建設的な事するならお金貯めてアパート借りたほうがいいと思いますがね。
理解に苦しみます。
他者をたよる前に自分でなんとかするべきです。
他人の助けを借りるのが前提なんて甘すぎます。
哀れみだけでは何もかわりませんよ。

いくら学生といってもこの無知と独善には恐れ入るが、それ以上に自分で設定して回答をだしている事例のおぞましさには戦慄させられる。

これは彼女が特別な考え方をする若者ではない、ほとんどが主張のポイントはこうしたいわば「自己責任論」といえるものである。

また、ほとんどが法的観点は視野に入っていないし、「社会的諸関係としての自己」という観点を喪失している。

MIXIのひどさは2chレベルで特別だという人たちもいるが、果たして特別か? ごく普通の若者たちではないのか、少なくとも5年間続けてきて特別だとは思えない。熟慮が見受けられる若者も一方にはいるからだ。橋下支持の多さでも恐らく普通の若者のパーセンテージを反映しているのだろう。

この彼女の意見にいくつか反論もし、さらに私のミクトモが私以上に的を射た批判を多く寄せてくれた。
ここでは省くが、彼女が理解している「公」の概念が、近代自然理法の対極にある点で日本の近代化は全く着地できていないのではないかと改めて思うのである。
高校の倫理社会?、いや今は公民だったか、教育はどうなっているのだ?!