脱原発デモの裏で進む新興国への原発売り込み−シングルイシュー運動の限界

官邸前デモも、予想していた通りそろそろ行き詰まりになってきたようだ。

主催者が江田や菅や辻本や阿部などに会ったVをみたが、落胆は激しかった。
どちらもすっから菅で、ただ自分たちの立場補強のためのセレモニとしてしか位置付けていないことだ。

初めてであるからやむをえないという意見もあるが、せっぱ詰まった気持ちでいれば、あのように散漫な会談にはなりえなかったはずだ。
喫緊の課題を並べ立て、何時までに解決の回答なり、連携の運動に持ち込むとか具体的応酬は自ずと起こったはずである。

画像では観れなかったが、反原蓮の平野太一が規制委員会人事に賛同するのかしないのか、一人ひとり答えてくださいというと、司会の小熊英二(慶応大教授)が制止したという話だ。

反原蓮と菅や辻本をつないだのが小熊であるのだが、この事実自体が会談がいかに民主党執行部とタッグを組んでいる菅派に組み込んで、民衆の意思を権力側に売り渡していく機能を担ってしまっているか解ろうというものだ。

小熊と反原蓮は、左翼嫌いの趣味には意気投合できたとしても、民衆の願いはここでも宙づりにされていくのである。

そもそもシングルイシューは、原発マフィアの帝国主義的振る舞いは全く視界にない。

先の規制委員会の重要性も彼らはよく解っていないと岩上安身氏が報じていた。岩上氏は取材の折、緊迫していた規制委員会人事について、かれらがほとんど知らないため、決まると5年間政治の側からは変更もできないなどのレクチャーをしたと述べている。

記者会見のレッドウルフ(刺青女)は、記者の「60年安保を担ったひとたちと、貴方たちはどう違うのか?」との質問に、「よく解らないけど、彼らは若かったのでは、私たちは30、40代で年をとっているところかな」と真面目に答えたのである。わたしは瞬間冗談で質問をはぐらかしたのかと思った。

こうした運動主体の頼りなさは、早晩行き詰まるだろうと当初から述べてきたが、もっと問題は、原発問題の本質から逸脱した方向へ民衆を誘導してしまうことである。

もどると、帝国主義的振る舞いに目をつぶるシングルイシュー運動が、ポストモダン以後の世代の趣味ではあっても、現実に拮抗できなことである。何度もツイッターでは発信したが、そのつど反原蓮にからまれ口汚く罵られた。

本日の読売によれば、米ウェスチングハウスの株式67%は親会社東芝が持つが、16%を売却したとのことだ。何のためにといえば、新興国へ輸出する祭、多種の連携企業が必要になるため投資に回すというのである。

注意したいのは、日本の原発は冷戦時代反共の防波堤と位置付けたアメリカから原爆用プルトニュウム抽出の含意を受けて日本が金目当てで群がったが、いまや世界の高名なウェスチングハウスは、東芝の子会社であるというこだ。

フクイチ(福島第一原発)を契機に、日本政府の「クリーンエネルギー」原発増設計画は、当面頓挫した。
それを補うものとして、寺島実郎(商社利害代弁)や経産省がお膳立てして、新興国へはイケイケドンドンの輸出路線を水面下で推進している。

ベトナムへは既に用地も確保され、周辺住民が徐々に知るにつれ不安の声が上がり始めた。仏在住のベトナム人専門家からは、原発運用管理の高度な技術力に耐え切れる技術者はベトナムには不在のため危険だとして、ベトナムと日本政府の無理押しに抗議を表明していた。

東芝・米ウェスチングハウスだけでなく、日立は米GEと、三菱は仏アレバ社とそれぞれタッグを組んで、熾烈な受注競争を展開している。

報道では、中国は今後57基、インドでは63基が予定されており、当然自国技術だけでは不可能だから日本メーカーが介在することになるだろう。

中国からはただでさえ黄砂が降り、近年の大気汚染は瞬く間に日本の上空を襲っている。原発放射能もれがあれば、直ちに甚大な影響を日本へもたらすことは確かなことだ。
尖閣へ攻めてくるなどと空想ごっこしている石原や右翼は自己満足だけだから、本当の現実的な国民への危機がどこに発生するか全く無頓着である。マヌケといっていいだろう。

このようにいまやフクイチ事故は、太平洋を渡って北米アメリカ全域を汚染したし、今カナダ、アラスカ海岸には津波漂流物が大量に漂着し現地は途方にくれている。
このように、原発はひとたび放射能漏れを起こせばあっという間に地球規模の被害をもたらす。

これは核兵器と構造的に同じで、一国原発阻止では意味をなさないのである。少なくとも反原発の戦略論としては、日本の原発メーカーの帝国主義的振る舞いを視野に入れて、世界の人々の被爆を阻止する視点を理念的に獲得しなければ、核の廃絶は無理なのだ。

シングルイシューの担い手たちは、原発マフィアより反左翼、政治的具体的成果よりデモスタイルへの同調目的化、ルール破りは自己責任で救援対策もしません、これらを身体化してしまっているが、もともと政治デモは権力の最も打撃となる日常秩序の破砕であり、秩序の解体と民衆権力の再秩序構築にあるのであって、警察の指示に従えなどと絶叫して監視するスタッフなど見たこともない。
(かといって、わたしは乱闘デモを推奨しているわけではない。これは参加者の主体的成熟による力量と警察警備との拮抗によって自ずと決まる問題で、過剰警備を部分的に突破したならそれを主催者が警察警備側へ押し戻すことは邪道だと言っているだけだ。この問題は、改めて述べよう)

横道にそれたが、シングルイシューではこうした原発マフィアの執拗なダイナミックな悪行には対応できないのだ。

日本人さえ被爆しなければ、経済が助かるから外国の民衆には被爆したら運が悪かったと諦めてもらおうとでも言うつもりなのか?

そのような態度では、とても世界への説得力も、尊敬も得られないことだけは確かなことである。