石原慎太郎と右翼の致命的犯罪-尖閣へ中国漁船団1000隻が、紛争の国際化

東京都石原慎太郎知事が、ある日突然尖閣諸島を東京都が購入すると発表して、あっという間に約15億円の寄付が集まり、着手を始めた。
自分の政治的玩具としてきた排外主義的ナショナリズムを実践できる実在物として、この話は彼にとっては勝利の美酒であった。
有頂天になった石原は、国家の領土問題を一自治体の首長という立場の気楽さから、ことあるごとに経過を誇示し、何もしない政府とののしり、政治的野心をからめて言いたい放題を述べた。本来領土問題の係争を認識していれば、隠密裏にことを運ばなければならないにも拘わらず、中国に筒抜けの状態であった。

そればかりか、このセンシチブな問題へことさら中国を刺激するような侮蔑的発言を連発、ナショナリズムに酔いしれた。

その後何があったか解らないが地権者は、石原東京都を飛ばして政府と売買契約を結ぶ。

中国政府は忠告的抗議を繰り返し、先ごろAIPECがウラジオストックで開催された折、胡錦濤野田首相に政府購入を立ち話15分の中で叱責するように抗議する。
この時の写真をみると、胡錦濤は毅然と野田をにらみつけ、野田は目を合わせることもできず終始うつむいている。

この段階で日本政府は、石原に振り回されて、明確な対応策も中国の手の内の情報もとれていなかったことが伺える。
民間出身の丹羽大使は終始中国側の意向と動向を冷静に読み、中国側に冷静な対応を呼びかけて政府間をつなごうとした。しかし外務官僚に押されて野田は丹羽を更迭し、後任に再び外務官僚に戻す人事を断行。

丹羽大使は進出日系企業現地からは支持されたが、国内では中国意向を持ち込むだけで政治的抑えが効いていないとみなされ、経済人としての合理的判断は葬られた。余談だが後任の西宮中国大使は、赴任前に渋谷路上で倒れ昨日死亡が確認された。

詳細の推移は新聞等に譲るとして、明日(9/18)には尖閣海域に1000隻の漁船と軍艦が押し寄せてくると中国政府が発表している。南沙諸島占拠と同じ作戦のようだ。

尖閣政府購入は、日本では石原のオモチャにさせておくより安全だという認識があるのだが、中国側は国家は重く、民間所有より重大事件だという彼らなりの解釈がある。このあたりの説明も玄葉外相はできているのかよく解らない。

そのため共産党が煽ったデモが全国各地に湧き起こり、ここ数日暴徒化して騒乱状態が続いている。

さて、この件に関してツイッターなどでわかったことは、政府野田、玄葉、前原、石原、猪瀬、右翼などデシジョンメーカーが、完全に想像力を欠如していたことである。

尖閣問題はもともと日中国交回復時点で棚上げしとし、将来の世代の知恵に任せようと周恩来が提唱。日本も了承した。そして1978年鄧小平と福田首相との会談でも再度この棚上げ論を確認し合った。
中国は日本の実効支配を認め、日本政府は領土問題は存在しないという立場を維持してきた。ただ注意しなければならないことは、主権は相互に主張したままである。これを領土問題は存在しないというのは、国内だけで通る話で、国際社会では明らかな領土紛争であることは間違いない。この冷徹な事実認識ができていたかどうかである。都合の悪いことは見ようとしない日本人の病理はなかったか、疑問の残る点である。

棚上げ論は戦争の悲惨を知り、東アジアの安定によって、ロシア(当時はソ連)の南下侵略を排除しようという共通の利害が背景にあった。

今共通の利害は戦略的互恵関係という経済的支えあいに変わっている。したがって、二国間の狭い利害関係しか双方とも意識できなくなっている。
排外主義ナショナリズムをあおると、大衆は政府を乗り越えて暴走する苦い経験を知っている戦中派の体験を、歴史から学ばず、想像力は全く衰弱しきっている。これは特に日本側に強い。冷戦時代の中国の認識で頭がフリーズしてしまっている。

石原の反共主義という前世紀的妄想から、潜在化していた日本の排外的ナショナリズムを揺り動かしたちまち火をつけてしまった。政治のリアリズムとは恐ろしいものである。

しかも、政府の想像力の貧困さは、8月18日が柳条湖事件の記念日であり、毎年大規模な国家記念行事としての国民的デモが企画される、その日に合わせるかのような購入事件であれば、さらに中国を刺激することぐらいは想像がつかなかったのか。

全共闘の猪瀬東京都副知事でさえ、マスコミコメンテイター程度の、この中国のデモはやがて中国政府に向かうものとなるとツイートしているテイタラクである。
数々の秀逸な日本近代に関する著作をもった猪瀬でさえ、石原を諌めるどころか、野田政権へ責任を転嫁した発言をしているのだ。


石原は、これだけ煽っておきながら中国が本気で対応し始めると沈黙に転じ、昨日やっと発言があったが、「追っ払えばいい」とのたまっている。

この主語は誰だ?
この主語を欠いた発言にまさに石原や右翼の無責任体質が無意識に象徴されているといっていいだろう。

わたしに言わせれば、石原は「わたしが追い払ってくる、みていろ」と言うべきであった。「或いは、息子伸晃を先頭にして死ぬ覚悟のあるものは行ってくれ」と言うべきであった。伸晃は呑気に自民党総裁選などやっている場合ではないはずだ。
政治家が自己の発言によって引き起こした国家的危機に対しては、自らが先頭に起って回避行動をとらなくして、だれが国家の未来を託そうか。

現場には赴かず、他人事のように言うのであれば、帝国陸軍参謀本部と同じではないか。
高みからの妄言で、海保や国民の血を流せというような旧帝国軍のパロディーに付き合えというなら、国民こそいい迷惑である。

息子の伸晃がTVで「中国がそんな攻めてきませんよー、来れるわけないじゃないですかー」と根拠もなく見栄を切ったのは、つい一昨日のことである。
このバカ息子は、官僚のように政治を泳ぎ、正確な情報も中国要人との信頼あるパイプもつくっていないくせに、こうした我田引水のデマで国民を窮地に陥れ、国益を毀損する狭間にあるということすら理解できていないバカ息子なのだ。

今野田政権だけではない、あらゆる政治家、知識人が想像力と正確な情報を欠き、中国との信頼関係をしっかり持っているキーパーソンを欠いた時代はない。あるいはそうした小沢一郎のような優秀な人材を排除しきったと言おうか。危機はそこにあるのである。


考えてもみよ、日本との友好関係を築いた中国の要人-周恩来胡錦濤もどちらかといえば親日派であり、ふたりとも日本留学経験者である。
鄧小平は、若き日に長くフランスに留学しており、西欧近代のシステムの利点も欠点を知り尽くした上で解放を断行した。
中国共産党内ではみな開明派である。彼らによる土着保守派との相克の上に日本との国交が樹立されているのであって、彼らを追い詰めるような対応を日本はとるべきではない。
これだけの恩恵を被っていながら、日本は中国のことを知ろうとしなさすぎる。

石原の頭はいまだに冷戦の共産党という固定観念でしかない。
日米安保を軸に安心しきって中国を刺激することは、米中が全く理解できていないことがわかる。

アメリカがいつまでも日本の肩を持つとおもっていると大間違いだ。アメリカは日本企業が撤退すればするほど歓迎なのであって、米企業の進出拡張が実現できる。
いまや米中はドル債保有量でも蜜月であり、日中紛争を歓迎しない。
その証拠に、日米安保は日本施政権の領域を対象にすると公式に発表しながら、個別の領土問題には米国はどちらの肩ももたないから、二国間で平和的に解決してくれと言う始末だ。

こうした米国の東アジアにおける権益は、日本から中国に移っている、この認識のできない耄碌(もうろく)爺石原や右翼は、日本の100年の国益を毀損させているのである。