吉本隆明の核心を救い上げる小論-平野織著『吉本の思想的態度』

京都吉本隆明研究会のメンバーである平野織君が、その成果の一端を小論として発表された。とてもいい。平野君は院生だが、私のような吉本の著作がブームとなり、生活の中に吉本の片言隻句を糧としてきた世代はこうはいかない。吉本について書くことは心情的な思いれが強すぎて纏めるそばから不全感に襲われ、結局筆を挫いて終わることを繰り返えしてしまうのである。
思想として冷静に向き合い、活かせる思想的核心があれば救い上げる、このような態度はもう平野君の世代に任せるのが一番だ。


吉本隆明の「大衆の原像」は、いままでさまざまな論議があった。特に80年代高度成長以降のバブル期を経てこの概念は古く使い物にならないというものだ。大衆はもはや分衆でしかないとか、豊かになった一億総中流意識の大衆は、多様に分解し、大衆というひとくくりの概念ではとらえきれない、などなど。
しかしこれらの批判は誤読でしかない。「大衆の原像」は、実体としての概念ではなく、方法概念なのである。どのような社会になろうとも大衆の本質的特性は、ある客観性をもって存在するということを述べている。
吉本は次のように定義している。「大衆は社会の構成を生活の水準によってしかとらえず、けっしてそこを離陸しようとしないという理由で、きわめて強固な巨大な基盤の上にたっている。それとともに、状況に着目しようとしないために、現況にたいしてはきわめて現象的な存在である。もつとも強固な巨大な生活基盤と、もっとも微妙な幻想のなかに存在するという矛盾が大衆のもっている本質的な存在様式である」(「状況とは何か-知識人と大衆」)と。
平たくいえば、自分の日常生活や職業的生活のなかですべて考えて解決するような存在だと。小泉改革を熱狂したり、橋下維新の会を野放図に支持したり、こうしたことを繰り返すのは、原理的に思想的に日夜専門的に深く物事を考えている存在ではないからなのである。
同時に吉本は大衆がひとつの可能性をもっているというのだ。
「今日、日本の知識人は、平和を守らねばならぬという口実をたてにして、その向上したであろう生活水準と、高度化したであろう生活資料とを、手ばなすまいとやっきになっている。進歩主義的な保守が、日本知識人の指標である。わたしたちは、これを転倒しなければならない課題を負っている。
 そのためには、庶民や大衆が日常体験を根強くほりさげることにより、知識人の世界、雰囲気、文化から自立しなければならないとおもう。かれらのふりまく文化、イデオロギーを、擬制的なものとしてしりぞけねばならない。この課題に堪ええないならば、庶民大衆の水準からは何事もはじまりはしないのである。」
こう述べたのはなんと半世紀前1960年の論考「知識人とは何か」においてである。未だに日々TVのコメンテイターや学者-いわゆる電波芸者を観ていると有効であると感じる。わたしたちは、バブルと小泉改革を経て、一周したのである。
大衆はすでにおらず多様な分衆だけだという批判は、根本的に間違っている。それは高度消費資本主義における個々人を、個性という商品的差異性のうちに編成していく循環の結果として、消費局面での分類把握にすぎないのである。一種の仮象にすぎないのであって、吉本の概念とは異質なものである。
少し前ふりが長くなったが、平野君がこの良質な概念の核心的意味を救い上げていこうとする視点は、その意味で貴重なものだと思う。


吉本の思想的態度
――大衆に対する吉本隆明の愛について
                      
大学院人文学研究科   平野 織

吉本隆明は自らの敗戦体験を始発点として、さまざまな題材を選びつつ、ある共同体における個の在り方を力強い筆致で書き記し、戦後においてひとり「個別的なものから一般的なものへ登りつめる覚悟」(マルクス『経済学批判』序言)をきめていた思想家であるといえるだろう。
とはいうものの、彼の書く文章は非常に読みにくい。マルクス的な辛辣な罵倒、要所における詩的章句の多用。こういった一言一句に対する読み難さのほかに、彼の思想の繙読を困難にしているのは、テクストに以下のものが混在しているためにほかならない。つまり、吉本のテクストのいたるところに〈日本〉への問題意識、〈日本〉という土地とそこに住む人々への強い愛憎が織り込まれており、この捻じれが、覚悟を決めた読者の判読の意志すら迷わせるのである。

情念の強度

ただし、このように個人の実存と公共の問題が絡んで在ることは、思想や研究の場において特別な事態ではない。吉本と他の思想家を隔てるのは、彼の情念が誰よりも強く存在することにある。この公私の絡み合いの強度こそ、吉本の文章を読みにくくさせている当のものではないだろうか。そのため、吉本と距離をとりながら彼の思想を査定してやろう、あわよくば論破してやる、という邪な気分で彼のテクストに向き合おうものなら、それは単なる罵倒の応酬にしかなりえない。

思想家への迎接とは

根底で吉本は何を考えていた思想家なのか。このことを問うためには、彼のテクストに向き合う工夫を私たちがしなければならないだろう。それを一般化して言えば、読み手は、思想家の問題設定を時代背景も含めて丁寧にとりだし、その問いに対して彼が如何に応えようとしたのかを真摯に理解するように努めなければならない、ということになる。つまり、私たちは、可能なかぎり各々の思想家がもつ思考の体系のなかに自らをおくように努めなければならないのである。その挙措によって初めて、読み手は思想家の息遣いある応答に触れることができるのであり、さらには思想家と自身の問いとが接続可能になるのである。吉本のテクストは、彼の強い情念である愛憎がみずからの核心の判読を困難にしているために、まず私たちは吉本を優しく迎接せねばならず、また、彼との非対称性に、つまり私の記した文字列を読んで理解してみよという理不尽な要請に苦心せねばならないことになるのである。
 吉本が熱心に愛したのは、ロマンチシズムとリアリズムを併せ持った日本の〈大衆〉であった。私が何とかして吉本を読もうとするのは、いかに彼が不器用であろうと不器用なりに、大衆に対して大真面目に向き合い続けたからにほかならない。

吉本の思想には、おおよそ次の事情のために、広義の意味での〈政治〉にかかわるもの、あるいは知によって〈政治〉へアプローチする知識人に対する強い意識が感じられる。すなわち、人の感覚や経験を超えて存在している大規模な社会に、個人が分析的に接近するとき、少なからずその方法は、自らの経験的なものを措いて理念的なものに頼らねばならず、その結果、しばしば現実から乖離した状態にいたらざるをえない、ということに対する警戒がそれである。このことから、吉本は現実からかけ離れた認識によって政治にかかわろうとするものに対して、批判を向けることになる。蓋し、この吉本の批判は、みずから論争をけしかけようとして他の知識人へ向けられたというよりも、知によって政治に接近しようとした吉本自身に向けられていたという自戒の意味合いが強いのではないだろうか。現実を離れては政治は体をなさない。しかし、理念なくして社会を捉えることはできない。吉本はこのことに自覚的であるがゆえに、その方法の模索と、政治の対象である〈大衆〉への恋慕を、自身のもとに抱きかかえたのである。

相対的他者としての大衆

たとえば「日本のナショナリズム」(一九六四年)において吉本は、〈日本〉批判の根拠を国外の虚像とその理念においた鶴見俊輔を批判している。次に引用する一節は、その批判の直後に現われる、彼が抱えた模索と恋慕にかかわる、吉本の告白文である。

  インターナショナリズムにどんな虚像ももたないことを代償にして、わたしならば日本の大衆を絶対に敵としないという思想方法を編みだすだろうし、編みだそうとしてきた。井の中の蛙は、井の外に虚像をもつかぎりは、井の中にあるが、井の外に虚像をもたなければ、井の中にあること自体が、井の外とつながっている、という方法を択びたいとおもう。これは誤りであるかもしれぬ、おれは世界の現実を鶴見ほど知らぬのかも知れぬ、という疑念が萌さないではないが、その疑念よりも、井の中の蛙でしかありえない、大衆それ自体の思想と生活の重量のほうが、すこしく重く感ぜられる。
(『自立の思想的拠点』所収。以下の引用も同じ)

ここで吉本が核心として摑んでいるのは、虚像として現れる絶対的他者への依存ではなく、現実において現れる相対的な他者との絶対的なかかわりである。この相対的な他者である〈大衆の原像〉を摑まなければ政治の位相へ移ったところで、「大衆それ自体の思想と生活の重量」を知らない政治は価値あるものとならないことを、吉本は心得ているのである。
私はこの場において〈政治〉について論じることは差し控えることにしたい。その代わりに、政治の手前にあるような吉本の大衆への態度を追いかけてみたいと思う。

内観をとおして世界へ

さて、そこで注意を促しておきたいのは、大衆の実相は再現不可能性の中にあると吉本がみなしていることである。それでもなお、ある程度の実像としてそれを再現するには、吉本によれば「わたしたち自体のなかにある大衆としての生活体験と思想体験」の〈内観〉から始める以外にないという。そのことを先の引用における〈井の中の蛙〉の比喩に引きつけて言い換えてみれば、井の外に虚像を持たず、むしろ井の中に在って内観することこそが、井の外つまり世界や大衆とつながる契機である、ということになる。この手法は、不器用な吉本は社会性に欠けるのだということを意味したとしても、内部において吉本と大衆との対峙および擦り合わせが起こっているかぎりは、彼の社会からの隔絶は意味しない。

命がけの飛躍

しかし、みずからの生活の基底の部分で大衆の姿態を視認し、そのうえでそれを摑みあげることは容易ではなく、摑んだと感じても次の瞬間にはするりと零れ落ちてしまう。この行為の繰り返しが知識人という存在の様態であろう。みずから大衆であると認識していながら、集合体としての〈大衆〉を自称するには、両者をつなぐための〈命がけの飛躍〉(マルクス『経済学批判』および『資本論』)が伴わなければならない。それは、私たち自身が、個人的な生と、社会的あるいは歴史的な生という異なるレベルに生きつつ、その隔たりにつねに引き裂かれ続けているからである。しかも、「大衆それ自体としては、すべての時代をつうじて歴史を動かす動因であったにもかかわらず、歴史そのもののなかに虚像として以外に登場しえな」かった存在である。

大衆を敵としない

「愚衆」にしろ「善衆」にしろ、大衆を一元的に虚像としてみなす態度にはけっして逸れないこと。この困難を引きうけつつ、省み、問いただすことを吉本はみずから選び、何とかしてその実相に触れようとしつづけた。絶対的な隔たりに対して命がけの飛躍をかけ、安易に虚像へと遁走しないように吉本を立ち向かわせたのは、「絶対に敵としない」ことを決めた大衆への信頼であり、〈愛〉であった。その愛はときとして鋭く相手を突き破り、ときとして柔らかく包みこむものとなったのである。大衆の生活思想に社会の在り方を求めること、これが吉本の根底にある思想的態度である。

今歳桜月、吉本隆明は遠逝した。そのことは、同時に吉本の思想も失われたことを意味するのだろうか。
断じて違う。思想の生命について、吉本はこう書いている。「思想が生きつづけるために、かならず死者の思想を包括しなければならない。包括したうえで、止揚する過程がその生命に外ならない」と――。吉本自身の方法の問題、彼が対峙した問題は今なお山積している。しかし、これらさまざまな吉本の問題提起を受け止め、包括し止揚せんとする者はこの世界に残っている。ならば、吉本の思想は失われてはいない。遁走せずに〈大衆〉と対峙した吉本の思想の止揚が、いかなる方向性をもち、いかなる価値を帯びるのか。それを予見することが困難だとしても、その過程自体として吉本の思想は生き続けるであろう。

愛と政治

最後に、本稿の関心から彼の思想の可能性を述べることにしたい。現在は、知識人と大衆という単純な構造および、それに伴う上意下達型の啓蒙が以前のようには反復可能ではない時代であり、大衆そのものの呼称さえ過去のものとみなされるなか、吉本の持ち続けた大衆への愛というものを取り上げたところで、それが現代にも相通じる態度と見なしうるのか、という疑問が残る。それでもなお。そもそも、本稿で記した吉本の大衆に対する愛とは、私が、愛は公的な動機として政治に導入できないことを承知しながら、吉本の大衆への両義的な執着を前にして、端的に言えば自身の現在の力量ではそう呼ぶことしかできなかったものである。愛自体も問われ直さなければならない。そして、その愛に支えられて大衆の原像を繰り込んだ政治の方法とは、もはや初めから転倒しているのではないか、と考えられるのである。それでもなお。

杣道であろうと

――私はこの世界から大衆がいなくなったとは思わない。おそらく、現在の多元性への注目の中にあって、それは以前に見られた大衆の姿と同様ではないであろうし、あえてそれを大衆と呼ぶ必要はないのかもしれない。とはいえ、大衆を地球市民、国民、市民、公衆、消費者などと殊更呼びかえることの方が好ましいのだろうか。ただし、そしてやはり、吉本の大衆への配慮と同様に、現在の大衆なるものを一元的な虚像とはみなさないという条件においてこそ、大衆という言葉遣いは現在でもいくらか有効である、と私は判断する。
擱筆にあたって繰り返せば、吉本は〈井の中の蛙〉であるしかないと腹を決め、自身の内側を見つめる内観から、外の世界とつながろうとした。見つめ続けた対象は日本という名を冠したものであったが、吉本の営みは、個から何らかの複数形のものたちへの架橋の可能性を示している。その媒介となったのは、日本の大衆への愛であった。関心のないところに、気遣いは生まれない。吉本ほどの愛を、そもそも愛自体を強要することはできないにせよ、他なるものへの関心と自己への関心、そして未来への関心とが相まってこそ〈政治〉への可能性はふたたび拓きうると考えられるのではないだろうか。それは未だ杣道であろうか。