第二回尹東柱(ユン・ドンジュウ)詩人命日追悼会

2014年2月17日(月)
同志社大学今出川キャンパス尹東柱詩碑前
主催 日韓詩人・日本詩人有志共同 尹東柱詩人追悼会事務局

尹東柱詩集『空と風と星と詩』岩波文庫

尹東柱詩集 空と風と星と詩 (岩波文庫)

尹東柱詩集 空と風と星と詩 (岩波文庫)



(同志社大今出川キャンパス内記念碑)

尹東柱(ユン・ドンジュウ)は、北間島(ブッカンド)、現在の中華人民共和国吉林省延辺朝鮮族自治省出身の朝鮮人詩人。クリスチャン。

1942年(25才)立教大文学部入学、半年足らずで同志社大英文科へ転学。京都市左京区田中高原町27番地武田アパート下宿。

1943年従兄弟の京都帝大生宋夢奎が下鴨警察署に、独立運動のかどで逮捕。
尹は無関係だが連座逮捕。
共に治安維持法第五条、懲役二年、福岡刑務所へ投獄。

下鴨警察署は、頃を同じくして、京大俳句弾圧事件で17名を逮捕投獄。
全員罪状捏造の冤罪。

尹東柱、1945年2月17日獄死。
宋夢奎、一月後3月10日獄死。

宋夢奎死の直前叔父が面会した折、連日正体不明の薬物注射を明言。
死亡が入獄短期間であること、痩せ細りヨロヨロであったと証言、共に人体実験の可能性あり。

尹の実家へ死体引取り通知が死亡翌日2月18日、
引取りがない場合は九州帝大医学部で解剖をする旨付記。

父親に遺体が引き取られ火葬、故郷に葬られたのは8月15日のことだった。

担当刑務官は後日、尹東柱は大変優しい人であったと述懐。

尹東柱詩碑

「序詞」

死ぬ日まで天を仰ぎ

一点の恥じ入ることもないことを、

葉あいにおきる風にさえ

私は思い煩った。

星を歌う心で

すべての絶え入るものをいとおしまねば

そして私に与えられた道を

歩いていかねば。


今夜も星が 風にかすれて泣いている。

(1942・11・20)

以下追悼会資料より転載。

「夜 帰りきて」

浮世から戻ってきたように今わたしの狭い部屋に帰り着いて灯りを消します。
灯りをつけておくことはなにかしら胸が急ぐことなのです。それは昼のの
続きですから?

すぐに窓を開け風を入れなければならないのにそっと外を覗いてみると
この部屋と同じ真っ暗な世間があって雨に打たれて帰って来た道が
やっぱり雨に濡れそばっています。

一日の鬱屈を晴らしもせず静かに目を閉じれば胸の奥へ届く声、そう深い
想いが林檎のように独りでに熟れてゆきます。

(翻訳上野 都・1941・6)


「追悼会によせて(抜粋)」
大韓民国ハングル学会日本関西支部 会長 キム・リバク

(前略)
周知のように今日、韓国は勿論の事、北朝鮮の人びとと世界の多くの人びとと、就中少なく無い日本人は詩人ユン・ドンジュウ(尹東柱)と彼が残した諸作品をよく知っています。また、日本の多くの高等学校・中学校の教科書等に彼の詩が掲載され生徒たちが楽しみ学びまた現在も学んでいると聞き及んでいます。これら多くの日本人の良心と誠実性と真実の友好親善の表れと思います。
しかし、朝鮮の開放前と解放後の数年間、南北朝鮮は勿論、在日韓国人朝鮮人そして日本すら優れた詩人としての尹東柱を殆ど知るひとはいなく、彼の珠玉のような作品を知る人も稀でした。
 皆さんが今立っておられるこの場所は皆さんもよくご存じのように敬虔な基督教徒として、奪われた祖国と民族の解放を念願し希求しながら学んだ学生・尹東柱の魂が麗しく息ぶいている所です。
 同志社大学は真実の基督教信仰信仰心に基づき祖国と民族を愛し学びながら詩の創作に励んでいた、熱く、誇り高く、不撓不屈の精神で生涯を全うした韓国詩人・尹東柱を過酷に、無慈悲に、命を奪われた事を鑑み、末永く追悼するためにこの場所を提供し今日に及んでいます。韓国人として深い感謝を捧げます。
また、祖国と民族を愛する心で各々の思想と政治理念、信仰と宗教、所属団体の相違を大胆に超越し、心を合わせ協力し、この場所に記念詩碑を建立した当時の在日韓国人同志社大学生および卒業生と在日の朝鮮留学生および卒業生の快挙に改めて大きな拍手を贈ります。
(以下略)



「追悼俳句」

望月至高

自主自立紫紺の旗の幾星霜     

風花やむかしここより飛礫うち

海峡を還る柩の虎落笛

*紫紺の旗は、同志社大校旗


大橋愛由等

冬ざれの詩神の寡黙つづきおり

遡行せし詩碑に玲瓏のパトス置く

不条理(うたかた)の東柱忌に小風吹く


「追悼川柳」

情野千里(せいのちさと)

多羅葉に東柱・一柱の文字が浮く

林檎も梨もわが一族の白い花

夜市には兄が埋めたドングリばかり