テロは戦争より残虐か、テロが「シャルリー・エプド」の救世主という皮肉

元日本の大学教授のゴードン氏のTwitterより、

@G_D_Greenberg: 9.11テロの米国での死亡者数2,973人、その報復という名目で仕掛けられたイラク戦争(という名の一方的な殺戮)でのイラク国民の死亡者数、
65万5,000人(米大学調査結果)。220倍。

さて、人数カウントできるくらいの殺人は、テロという。
数え切れない、屍体もかたずけられないくらいの大量殺人を戦争という。

そして、ひとはなぜか、テロには残虐性を叫び、戦争には憧憬を示す。
戦争を憧憬し仕掛ける勢力が、テロとは断乎戦うという不思議。

それに唱和する多くの国民。
この矛盾を考えたこともない。
数字は抽象化されるから、理性的思考が必要だ。しかし数字を考えられなくなって思考停止すると、皮膚感覚だけが人間の行為を方向づける。

数にともなう不思議をもう一つ。
フランスのテロ被害者「シャルリー・エプド」。
言論の自由を守れという世界のリベラル派を巻き込んだ大合唱が興った。

フランスにおける、ブルカ禁止法などイスラムへの長きに渡る抑圧政策と差別と人権無視、それには誰も気にしなかった。
フランス流の言論の自由で他民族の宗教習慣を風刺侮蔑、これは有りなのだ。
風刺がテーマを克服する方法論を提示しない限界をもつ表現技法だということはここでは詳述しないが、ともすれば対象を鼻先で小馬鹿にして、それ以上のものは生まないことだけは間違いない。

「シャルリー」は、一度倒産し細々やっていたが、イスラム文化風刺をする度に部数をのばした、一種のヘイトクライムを増幅してきたイエローペーパーであった。それでも7000部程度だ。
だが1月12日を境に「Je suis Charlie」(私はシャーリー)を合言葉に各国首脳陣やらせデモが鳴り物入りでおこなわれた。翌日には民衆と一緒にパリ市内をデモしたと思いきや、警備の都合で市民がいない首脳たちだけの白々しいデモ演出であったことが、空撮写真でバレた。
だが、結果は国民は沸騰し、「シャルリー」は一気に500万部を増刷、最高700万部を更新し、フランス新聞紙史上最高を記録した。ヘイトクライムは儲かるのである。

このフランスにおけるイスラムへの植民地主義の文脈を、フランス国民ばかりか世界の自由を尊いという人たちが全面肯定した瞬間であった。

そして、「シャルリー」はイスラム文化へのヘイトクライムを世界が肯定し同調してくれたことに意を強くして、以前にも増してイスラムへの侮蔑的風刺を発行し続けている。ますます繁盛し、イスラムへのヘイトクライムを煽るほどもうかるのである。

やっと、それはおかしくなかったか?と自問するフランス人も現れて、今論争が起きている。
しかし時既に遅し。

これを真似て「アイアムケンジ」をやり出した日本人の無知とバカっぷりは、これによってイスラムを侮蔑し続けた『シャルリー」への憎しみを想起させ、さらなる日本人への殺意を募らせる恐れなど、一顧だにしなかった。

マスコミと政権と官僚が絡む問題になると、日本人のみならず世界中が途端に思考停止になって、生きた矛盾の塊となる。右翼だとかリベラルだとかそんなものは便宜的区別にすぎないことが露呈してしまう世界の七不思議

なお近日『シャルリー・エプド(風刺画)』が単行本になって第三書館より出版される。イスラム関係団体からは反発と出版中止を求める声が多数上がっている。
紹介記事 http://www.huffingtonpost.jp/2015/02/06/charlie-hebdo-book_n_6628562.html?ncid=tweetlnkjphpmg00000001