シャルリ・エプドの難民溺死児童を使った風刺画−またも「表現の自由」というヘイトクライム

今年1月テロに襲われたシャルリ・エプドがまたきわどい風刺画で物議をかもしている。
「メディア・クリティーク2015,9,30号)の田辺英彦氏のレポート(『「表現の自由』の閾値について改めて考える」)によれば、九月初めにトルコ海岸に打ち上げられたシリア難民の子供の遺体を使った、風刺画をシャルリ・エプドが掲載したとのこと。まずその絵を見てみよう。
(写真と引用部分青字は田辺英彦氏提供)


(上)「すぐそこが目的地だった…」と題され、マクドナルドの看板には「一人分の値段で子供メニューが2人前」と書いてある。
(下)「ヨーロッパがキリスト教の国である証拠」と題され「キリスト教徒は水の上を歩ける…イスラム教徒の子供は沈む」と書かれてある。

上の写真のように、マクドナルドの看板らしきものに子供の値段付を書き込み、子供の死体が水に顔をつけた絵という構図は、どう見ても不幸な子供の尊厳を踏みにじっている。下の写真はイスラム教徒を貶めていることは明らかである。

黒人弁護士協会(ロンドン)会長のピーター・ハーバートは、同紙を「ヘイトクライムと迫害を扇動した」罪で国際刑事裁判所に告訴することを検討中と表明し、こうツイートしている。
「シャルリ・エプトは人種差別主義で排外主義だ。フランスの道徳的退廃を象徴し、イデオロギー的にも破綻している」。

一方同業の風刺画新聞は、これは欧米の人道主義上のなかにある隠れた非人道的態度を風刺しているのだといった擁護論もある。

前回テロの時同様、「言論の自由」を守れという原則論を主張するむきもあるが、人権に抵触する表現の自由や、人の死や命を道具として意見を主張することが許されるのか。

前回テロの折は圧倒的に世界は異民族へのヘイトクライムや侮蔑でも言論の自由は守られなければならないと、氷水をかぶってシャルリ・エプド擁護が駆け巡った。
日本でも、在特会へ批判的なモダニスト左派が、この時はシャルリ・エプド支持へまわり、在特会を許す側へ横滑りした。モダニストとは常にそうしたブレを抱え込んでいる。ゆえに吉本隆明は生涯大江健三郎茂木健一郎のようなモダニストを批判した。

この問題に、田辺氏は、次のように結んでいる。

1個の小さな人間の死に対して、「笑い」をもって応えることは是とはされないはずだ。「シャルリ・エプド」にジョーク・センスの悪さを感じるのも、マイノリティへの想像力の欠如ゆえである。
こうした場合に必ず引き合いに出される「在特会」のヘイトスピーチ同様、それは「言論の自由」ではなく、ヘイトクライムにほかならないだろう。そしてまた、「これは『言論の自由』だ」と言い張る陣営と、議論は平行線をたどることになるのだろう。こうしたヘイトクライムとの戦いは、決して終わることがないのかもしれない。

【参考】
『テロが「シャルリ・エプド」の救世主という皮肉』http://d.hatena.ne.jp/haigujin/20150205