くどくど書くのはもうかったるい。
というのは、日本のだらだらした似非リベラルや文化左翼があまりにも安倍右翼政権や右翼跋扈の温床になったか、一冊の書物が必要だからだ。
現実への切り込みの僅かな角度が、戦後70年たつと宇宙のかなたへ軌道を外れてしまったという検証が必要なのだ。
しかし、手っ取り早いのは、韓国との比較である。
長い軍事独裁政権の抑圧から、血を流し、肉を切らして民主化を学生運動を先駆として勝ち取った。
その後何度も政権を倒し、民主化はすすんだ。
その自信と国民の学生運動への信頼は、そのなかで育まれた。
結果、国民がデモで政権を倒すことは、十分現実的なアクションなのである。
管見を披歴すれば、韓国のこの不幸な歴史のなかに唯一結果的に僥倖であったのは、日本のように「前衛党」がなかったことである。
学生の、また民衆との連帯は一筋の強い綱となって自由を獲得した。
日本は、「前衛党」というスターリン政党が、唯一絶対の反体制「知見」をもって、学生と民衆の結束がなされたとみえた途端、割って入り運動を分断し、党利と党保存のエネルギー吸収をした。
そしていつもそれが勝利宣言とされ、徹底的な孤立と猛省をへぬまま、その「知見」は教条化されていった。
したがって日本の反権力闘争や、社会改良運動はどの分野でもスターリン政党とその他の「正義」がぶつかり合い、戦後民主主義者がスターリン政党を無言に支持した。
或いは、丸山眞男のように、昂然とスターリン政党を黙認し、戦後民主主義を根のところで実質的に腐らせていった。
戦後民主主義者とスターリン政党は、権力に守られいつも安全圏にいた。
それはひたすら保守政治を左から補完する結果をもたらした。
彼らは学生の叫びにも、民衆の悲鳴にも耳をふさぎ、市民社会の安寧な「保身」をひたすら図った。
ひれに比して、韓国の自由主義者は韓国政府、日本政府、アメリカ政府、そして親和的でありながらスターリン国家北朝鮮にも遠く、孤立無援の戦いのなか拷問に耐えて、唯一の自ら考えだした「知見」を訴え続けた。
そこには、米国へ従属する「知見」もソ連へ従属する「知見」にも、「正義」が引き裂かれる不幸はなかった。
いま、この敗戦後の歩みをみるに、韓国の民主主義の強度に日本人は学ぶことができなければ、今後も日本人は護憲をさわぎながら、憲法を超越して支配する超憲法のアメリカの「知見」の奴隷を続けるのだ。
自分達の顔をもう一度つくづくと見てみることだ。
自分の顔を観ない者は、永久にアメリカとスターリンの亡霊の顔に醜く変形していることに気づくことはない。