悩める現代人にヒット―『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著)

吉野源三郎著『君たちはどう生きるか

世に出てから80年以上を経てのベストセラーである。もともと少年が主人公で、少年向けに書かれたものであるが、いま、大人の間でヒットしているとのこと。

吉野源三郎は、1927年東大哲学科を卒業したが、共産党に関係したかどで治安維持法により検挙。たまたま予備召集であったため軍法会議にかけられ、一年半陸軍刑務所に入獄。出獄後生活に困窮し、山本有三に声をかけられ「日本少国民文庫」(新潮社)の編集に携わる。山本が窮状に手を差し伸べたのである。

吉野は1937年岩波書店に38歳で入社、日本初の岩波新書版を刊行する。その直後8月、少年向けの都会小説として『君たちはどう生きるか』を上梓。
この小説は、この「日本少国民文庫」シリーズの最後の配本として1937年8月に出た。
著者は山本有三として刊行された。刻は日華事変勃発一か月後であったため、政治的配慮で吉野への厄災を避けた。

その後知識人に読み継がれてきた。

鶴見俊輔は、16歳でハーバード大に入るが、翌年1939年ボストンの日本人歯科医師の家で詠む。主人公コペル君(16歳設定)より一歳上の年齢であった。
「私はハーヴァード大学哲学科の一年生で、日本でこういう形で哲学の本が書かれていることにおどろいた」「そのころ私は西洋哲学者の名著を毎日たてつづけに読む中で」「(これら名著に)少しもおしまけず、それらをまねするともしではなく、この本がたっていると感じた。日本人の書いた哲学の名著として、私はこの本に出合った」と、「記憶のなかのこども」で記している。

丸山眞男は、この本が出た'37年に東大法学部を出て助手に就く。コペル君より7歳年長である。
「これはまさしく『資本論入門』ではないか」と感嘆し、人間と社会への目を開かれるコペル君の立場に身を置くことで、「魂をゆるがされた」。
そして次のように書く。
資本論の常識くらい持ち合わせていたつもりです」「にもかかわらず、いや、それだけにでしょうか」「私は、自分のこれまでの理解がいかに"書物的"(ブキッシュ)であり、したがって、もののじかの観察を通さないコトバのうえの知識にすぎなかったかを、いまさらのように思い知らされました」(「『君たちはどういきるか』をめぐる回想」)。

吉野源三郎は鶴見(中学)、丸山(高校)の高等師範附属の先輩にあたる。
都市有閑知識層の師弟の豊饒な人脈が見られる。

(関川夏央著『鶴見俊輔先生の「敗北力」』より抜粋、加筆整理)