今日は、肉離れの足を引きずり福井紳一氏の『戦中史』を取りに出かけた。
この部厚さでは読了まで一か月はかかりそうだ。
さて西郷隆盛のことである。
先日は山崎行太郎先生が、「西郷どん」の時代考証担当した友人(歴史学教授)が製作陣や林真理子と訣別していると述べていた。
その友人は、林真理子があまりにも史実から逸脱するので、指摘して訂正要求すると、これは物語だから私の人物を描く必要に応じて虚偽も書くという意味のことをいったそうだ。
なにしろ、安倍総理や日本会議に忖度して、維新の西郷を取り上げ、安倍と友人で応援団の林真理子を起用したのだから、その筋が喜ぶような「美談」のオンパレードになるだろう。本当の西郷像など知ることもできまい。こうして大衆は洗脳されまたアホになっていくのである。
『月間日本』2月号の山崎行太郎先生の対談が同意できた。
「西郷と大久保のどちらが優れているかといった議論は意味がないと男います。西郷にも大久保のように合理的に側面があったし、大久保にも西郷のように非合理的なところがあったということだと思います。(略)
西郷はしばしば反近代の象徴とされます。もし西郷が下野していなければ、大久保の進めた近代化とは違う形があったのではないかと考えられているわけです。
しかし、西郷は大久保の前に敗れ去った人物です。勝手に敗れた思想を取り戻しても、再び負けるだけです。」
この最後の部分は卓見でしょう。
亀井静香がまだ元気そうで安心した。
彼の事務室にはゲバラの写真かポスターが貼られていたのは有名な話しだが、ここでも南洲とゲバラを「民の側にたった」人物として尊敬していると自説を述べている。実際はもうひとり大塩平八郎もである。面白い人だ。
注目したのは、佐高信が期せずして山崎先生の西郷解釈に同期している点である。
「安岡正篤とか日本会議とかが持ち上げるみたいに自己を犠牲にするとか、そういう単純な話ではない。西郷を愛国的なロマンチストとして利用する連中には、坂本龍馬や勝海舟みたいな曲者が感嘆したような西郷のフトコロの深さがみえていないんでしょう。」と述べている。
山崎先生も赤報隊の処刑を例に、西郷はテロリストであったとも解り易い言い方をしている。佐高もこの事件を例にして、西郷の下級武士ゆえに共感を示し、赤報隊の年貢半減を倒幕に使わせながら、後になって虚偽として処断したことで自らの革命を裏切ったと。
(もっとも赤報隊殺害を指示したのは岩倉具視であったが、西郷は黙認したのが史実のようである)
維新をなす過程では、合理も非合理も飲み込んだのは担った志士すべてに言えたことだろう。
現実の政治思想では山崎先生と佐高ではかなり左右の距離がありそうだが、本質的なところではほぼ共通してくるようで、これがホンモノの思想というものだろうと思った。
(Facebookより転載)