今井照容氏還暦・『出版人』五周年を祝う!

―祝賀 献句―
兵の祀りは果てなし緑の夜

5月21日(月)、久しぶりの東京でした。

今井氏が発行している『出版人・広告人』が発行5周年を迎えたことと、
今井氏が還暦を迎えたこと、
これをともに寿ぎ、神田山の上ホテルにて盛大な宴が催された。
100人は参加されたはずだ。

今井氏は昨年癌が見つかったが早期で完治している。

『出版人・広告人』は、業界誌であるが、そのなかに時代を切り裂いていくジャーナリズムや、時代を拓く言論を展開して、その書き手は多士済々、兵どもばかりである。

今井氏をわたしが畏敬(といってもわたしよりちょうど10若い)するのは、その時代を見る眼の正確さであり、編集のオルガナイザーとして秀でているためだ。
今回、関係者に会っていろいろ聞いたところ、とにかくものすごい読書家で、博学ぶりはやはりただものではないということだ。
とにかくマルエン全集を中学時代には読破していたとのこと。

いまひとつは、業界の記事に精力的にデジタル出版分野を割いていることだ。
出版業界の行く末にたいする、今井氏なりの危機感が感じられる。

実はこの辺りに、わたしは胸に表現しようのないもやもやしたものを感じている。
わたしはこれからはデータからネットワーク時代だと漠然と予感して転出を考えていた矢先だったので、某新聞社のニューメディア開発の誘いに二つ返事で飛び移った。
富士通が、日本初のプロバイダー「ニフティ」を立ち上げる前年だった。
孫正義がなどネット事業者が出てくる数年前であった。

新聞社は大鑑巨砲主義、すなわち宅配制度を切り捨てられず、やったことと言えば制作過程の完全コンピュータ化と、紙面のデジタル変換だけ。
いぜんとして部数を落としながらも、もはやさしたる「ニューメディア」開発は進展していない。これはキワモノのサンケイ以外新聞はどこも同じである。大手二社ともに不動産企業に転換しつつある。


東京管理職ユニオン」とツインで「大阪管理職ユニオン」を中村氏が創設し、初期に自分の労務問題もあってしばらく手伝った。
紆余曲折あって、新聞社のニューメディア事業は不発のまま時間は過ぎていった。

その間、自分のニューメディアジャーナルを立ち上げようかと何度か思ったこともあった。(富士通トップにはそれなりのコネクションを維持していたから)
しかしその困難さはよく解っていて、もうエネルギーもなかった。
今でこそ、ネットTVやジャーナルが活況を呈しているが、現況からみれば、わたしの事業構想は85年頃であるから、10年は早かったといえるだろう。

だから、今井氏の寄せてくれる情報は、業界が少し違えどもとても現在の動態を知らせてくれて興味深い。わたしの消えた夢の郷愁を誘うのである。

し、か、し、今井氏はそれを50代でやり遂げて、孤塁を確保している。
生き馬の眼を抜く神田で燦然と輝いている。
もちろん文化の分野では、大阪と東京では圧倒的に市場が違うから、しょせんわたしのものは夢想で終るしかなかったのであるが。
それにしてもその気概と手腕には、ただ称えるしかない。

また、今井氏が中央大のマルクスボーイであったらしいということも、親近感を持つ理由だ。
わたしも、国立を諦め、中大と同志社大を受験し両方受かったが、学費値上げ阻止闘争で同志社大は据え置きだった。迷わず、中央大の半額以下の同大へ。もちろん高校時代から耽読していた鶴見俊輔がいたことも動機となっていた。
とにかく家は裕福でなかったから、学費安さ第一であった。
しかしこれも卒業してから、ああ物書きになるには関西は余りにモラトリアムを食わせてくれる肥沃さはないと無念であった。中央大だったら容易にどこかに潜り込めたのにと地団駄踏んだものだ。

今回宴に参加させていただき、また新たな知遇をえた。ありがたいことだ。

そんなわけで、今井氏は迷惑かもしれないが、物理的にはなにもできないが、これからも精神的応援団を自任していく。

60歳代は確かに楽しい。また最後のステージともなる。
今井氏のこれからの奮闘にエールを送らせていただこう。