韓国映画『1987、ある闘いの真実』鑑賞、絶賛!!

1987、ある闘いの真実』鑑賞

1987年、韓国は長い軍事独裁政権が終焉、大統領の直接選挙制が施行されて盧泰愚大統領が誕生。盧泰愚は与党ではあったが民主制の初の大統領となった。

この軍事独裁政治を打倒した民主化運動の過程を初めてチャン・ジュナン監督が映画化に成功。
何度も映画化の試みはあったが、スポンサーがなかなかつかない、脚本は各方面の圧力で書き換えざるをえなかった等で、実現しなかった。
今回も、作ったはいいが上映できるかどうかは未知数だったという。おそらくムン・ジェイン政権の風で実現したのではないかと思われる。
韓国も日本と変わらず、4000万人のゼネスト状態を経過した国民的偉業であっても、この手のテーマは有形無形のプレッシャーに晒されるようだ。

まず時代背景を簡単に見ておく。

1979年 光州事件  パク・チョンヒ大統領による光州市民
          虐殺事件。

1986年 仁川(インチョン)事態 軍事政権と民主化要求の
          野党が仁川で大規模集会を企画、過
          激派が暴走したことを口実に、大規
          模な「アカ」狩りがおこなわれた。
          以降チョン・ドンファ大統領の弾圧
          強化。

1986年 ソウルアジア大会 

1987年 ソウル五輪大会準備、
     大統領継続を図り、内閣制(間接選挙)へ移行。

     1月14日、ソウル大生朴鍾哲(パク・ジョンチョル)
          拷問死事件発生
          死因隠蔽解明へ民主化活動家ジャーナ
          リスト政府内法治派国民が大運動を
          展開

     6月9日、延性大生李韓烈(イ・ハニョル)デモ中
         催涙弾直撃死亡

     6月19日、五輪開催を危ぶみ政府は軍治安出動決意
          
          レーガン大統領がチョン・ドファンに
          警告、過剰対応自粛要求、軍投入した
          場合、米韓同盟に決定的亀裂が入ると
          通告。政府は民主化を受け入れた。

     6月25日、大統領直接選挙実施、民主化活動家の解
          放、野党候補者一本化できず票が割れ
          た結果与党盧泰愚が大統領に。保守が
          継続
     6月26日、警察が民主化指導者をことごとく自宅
          軟禁、全国で100万人以上のデモ展開
 
1988年 ソウル五輪大会成功

1993年 金泳三(キムヨンサム)大統領、初の文民誕生

戦後韓国が軍政から文民政治になるまでに、国民は実に48年間、日本植民地からでは約100年弱の抑圧と弾圧の下に置かれていたことになる。

この80年代から90年代にかけて韓国の経済力も成長を遂げて国力は伸長した。

よく耳にする「386世代」とは、
1990年代に30才、
この1987年この民主化闘争に参加、
1960年生まれ世代をいうとのこと。

まあどこでも学生運動に参加する連中は、世の中に出るとよく頑張る人たちになるようだ。
韓国社会の勃興を成就した世代として輝いているのだろう。

ただ先走って言えば、アメリカ政府(ジョンソン大統領)の強い警告によってなされたという面に留意しておく必要があるだろう。
アメリカの国益とはいえ、民主政治を建前とする限り、国民の民主化要求は「それなりに」尊重せざるを得ない。
限度を超えた圧制は、反アメリカとなり同盟関係を脆弱にする。

こうした米国のアジア支配の構図は日本と同類であろう。
この事例やフィリピンの米軍基地撤退決議は、現在の辺野古基地問題の好個の例となるだろう。
国民が大反対デモを繰り出し、民意に反する政権を追い詰めることだ。韓国民主化の治安出動にストップをかけたアメリカ政府が、立ち往生するくらいでないとだめなのである。
やっとチョムスキーなど高名な米国人が辺野古に言及しはじめている。この線も大事にすることだ。

この映画には描かれていなかったが、指導者はクリスチャンの牧師などキリスト教関係者が主導したことで、米国のキリスト教関係団体の米国政府への提言もあったのではないかと思う。

日本のクリスチャンとは頑張り方が違うのだ。先頭にたち弾圧を怖れない。

さて、映画の出来栄えであるが、監督のチャン・ジュナンは、こういう大規模な群衆シーンなどは未経験で戸惑ったと素直に語っているが、奥さんが学生運動の体験者かそれらのシーンはほとんど指揮をとってくれたと述べている。
圧倒的な迫真のシーンの連続で優れたドキュメンタリータッチに成功している。

あまり内容に立ち入ると、これからの方々に予断を与えるので控える。

個人的に思い致すところは、韓国が間違いなく国民の一人ひとりが、悲願としてた民主主義を目的意識的実現努力してきたな、と敬意の念が涌いた。

それは光州事件を題材にした『日時計』からこの軍政打倒民主化勝利まで約20年がたっている。
早すぎた光州の反乱は、多大な犠牲者を死なせた。

日時計』は、幼馴染3人(女と男2人)の物語だ。三人の青春期光州事件を体験する。その後成人して、主人公はヤクザとして頭角を現し、もう一人は検事となる。女は実業で成功する。
ヤクザは女に純情を捧げて独身を通し、女のために殺人事件で逮捕される。検事の親友は、このとき言う。今矛盾は一杯ある、しかし俺は検事として法は法として公平に適用しなければならない。みんなが勉強して要職について民主的な公平な社会にすることが大事だと諭す。当時なら、検事の温情で量刑はいくらでも軽くできた時代だ。しかしヤクザの親友を死刑に処した。
(昔の記憶なので間違っているかもしれないが、その場合はご容赦を)

『1987』でも、発端は検事の造反から始まり、多くのジャーナリストがしっかり真実究明に動き、軍部と血みどろの闘いをする。どこまで事実だったか分からないが、刑務所所長や看守までもが警察の拷問にもめげず真実追及の連帯をする。まさに国家機関の要所要所で、服務規程を守る闘いをしたのだ。
民主主義は手続きの体系であるという原理を闘いの中で勝ち取っていく。

国家をつくる気概、民主主義は国家機関の手続きの厳正な適用を担保せねばならないという、近代民主国家建設途上の苦しみに耐えて、親友関係の否定をしてまでも貫こうとする姿勢に涙して観たものだ。

この長い抑圧の抵抗と圧制者への勝利の体験は、韓国民の遺伝子として、日本の子孫よりはるかに強靭な民主主義をつくる優性遺伝子として残っていくだろう。