『出版人・広告人』2019.3月号、御礼と雑感

『出版人・広告人』拝受。今井照容さま、今月号もありがとうございました。
最初に中身をざっとみるのですが、今月自ずと目を吸い寄せてくれた記事がありました。

 

森詠さんの『振り返れば風』。

森さんの若かりし頃の週刊ポスト時代の滝田修パルチザン取材奮闘記です。


昨日十三のシアターセブンで土本典昭監督『パルチザン前史』を半世紀ぶりに観直しました。
半月にわたって、土本典昭特集を興業しているのです。

70年(大学4年生)に私が中心になって立ち上げた雑誌『表現』の創刊号に、土本がこの映画についての自解の短文を寄せてくれました。

岩波映画出身のドキュメンタリー監督が好きで、特に同志社の大先輩黒木和雄は最後まで交流しました。
将来の進路も漠然と彼らのような分野で仕事をしたいという気持ちは、大学を出てからも燻ぶっていました。

どこかにまだ土本の寄稿文は残っていますのでアップしてみましょう。

そんなタイムリーな森さんの記事でしたので面白く読みました。

そんな私事より、滝田修京大パルチザン五人組革命団のことです。
映画を観ても、感想は半世紀経てもまったく変わらない。
暗闇の中で、くぐもった嗤いを何度か噛み殺したものです。

武装闘争路線への「わが部隊」は、徹底的な批判を展開していたからです。「わが部隊」というのは、圧倒的多数派である関西ブントのなかの少数派=非ブントー60年ブントからの流れに接続しようとした法学部自治会、学術団からなる有志連合です。
詳細を述べると長くなりますので止めますが、滝田修や赤軍派塩見孝也の軍事路線には徹底した批判をしていたので、『パルチザン前史』の京大生たちのバカさ加減と、クソ真面目さにはもう笑うしかないのです。

映画の中のシーン。
鉄パイプをもって、五人一隊列で必死の形相でドラム缶を体当たりするのだが、そんなもので武装なのかよ。
それどこかで観たシーンだぞ、そうだ帝国陸軍初年兵が、中国人を銃剣で刺し殺す訓練そっくりではないか。

そもそも五人組ってなんだ、江戸時代じゃああるまい、などなど、赤軍派に繋がる軍事路線が、完全に国家権力論の間違いにあることは当時でもはっきりしていたのです。

特に赤軍派に極まった革命(大義)のために死ぬことの聖化は愚劣でした。キリスト教の終末論と復活ー宗教に転落していたのです。日本共産党のパロディーにすぎません。

そんなことを思い出しながら、しかしそこからほとんど進展していないという自戒も当然あるのですが。

ただ滝田の評価は、無駄な消耗戦、安っぽい官憲捕縛を戒め、極力持続的な闘争論をもっていた点です。

ここが既存党派、特に革共同などのパクられて箔がつくようなくだらない体質を超えていた点だと思います。

 

吉本隆明が指摘した、左翼が集団闘争に付きまとう負の封建遺制に堕ちこむなかで、党派としては滝田パルチザンと共産同叛旗派だけは、自覚的であったように個人的には観ていたのでした。

ただし誤解なきように。
こうした批判は、社会を少しでも良くしようと努力もせず、日常の生活保守に浸りきった人からは、私は断固として、パルチザン京大生の「ばかばかしい生真面目さ」を擁護します。
その真剣さとこの世の桎梏を破砕したいという意思と、権力への対峙は、どのような理屈をも寄せ付けない。
断固として擁護します。

 

話が長くなってしまいましたが、映画と森さんの記事がタイムリーでびっくりしたという話です。
森さんも「愉しい」仕事をされてきたのだなと、眩しく尊顔を思い起こしております。