政府の感染症新型コロナの対策方針は、医療治安思想である!

「重症者を優先的に治療するために、病院にこないでくれ、検査は必要ない」という医療治安思想の怖さ。医療資源を守るという大義名分には一理あるが、COVID19の病者かどうかの判定を自分でした場合、軽度なら他者感染源となって感染拡大を知らずに招いてしまう。また重症化したら助かるか死ぬかのどちらかで、その段階で救命としては検査しても意味はない。死亡原因の特定と学術的データ採取でしかない。

 現段階で決定打の薬もない中で治療しても、一定の確率で死ぬことが予期されている。わざわざ一定数の死者を織り込んで医療体制を守るという思想はどこかおかしいのではないか。

 政府は検査キットを民間が自由に扱えるようにして、早期患者を見極め自己治癒を促すこと、本人の自覚がないまま自宅待機では家族から地域へ感染拡大を招く。政府の危惧である重症者を増産する結果になりそれこそベッドの不足から致死率の飛躍的増大を招く愚策である。

 そもそも、なぜ厚労省だけが検査キットを指定病院に配布するのか?昨日の報道では検査機器が開発され、現行6時間かかるものが3時間に短縮できるとのことだが、これも厚労省天下り先か何か利権がらみのメーカーとの情報もある。どうもすべてが政府関係者マターで進められていて、困惑しているのは医師と患者というおかしな状態である。

保険適用にして民間検査機関で自由に取り扱えれば初期検査で疑わしい患者の中から特定できる、現場の医師もそれを望んでいる。また民間検査機関も望んでいる、患者も自己確認ができ感染防止行動がとれる、4者がウィンウィンウィンウィンなのだ。

 厚労省の代弁をする医療ジャーナリスト村中璃子がいみじくも本音を吐いていた。「武漢のような混乱にはしたくない、日本は医療体制を守り世界に手本を示したい」。

 既に中国同様、各国に入国・渡航禁止指定にされた日本が、今更手本を示すもないだろう。医療治安思想ではなく、感染症は蔓延するものだ、それは仕方がない。しかし致死率をどこまでゼロにできるかが、本当の医療の正しさの基準ではないのか。重症化した場合だけ検査して、その重症患者の一定の死者数を織り込んで、死者と引き換えに医療体制を守るという考えは転倒とている

 外見は静かで平常のような病院が報じられかもしれないが、それは医療や政治の治者の自己満足である。

今の家庭から地域から患者が湧いてくるような施策は不気味ではないか。まず医師の判断によって、必要とあらば普通の病気と同様民間検査機関で初期チェックを実現させるべきだろう。

あらゆる治療の原点は、早期発見、初期治療によって救命するということは動かしがたい一般原則である。