森友学園事件ー財務省赤木俊夫氏遺書・告発手記から見える本質

**財務省文書改竄の本質とはなにか**

遅すぎる、なぜもう少し早く遺族はださなかったのかと残念だ。

しかしそればかりは、遺族の思いで、他人がとやかくいえることではない。むしろ、よく闘う気になったものだと思わねばならないだろう。
相手は国家である。

さてtweetのコピーと少しコメント。

情緒的に赤木氏の遺書を論じてはいけない。佐川にすれば理財局の不正が政治問題化した、揉み消し意図で局長を拝命、職務に忠実に進めた。赤木氏も森友案件後に着任。案件を扱った連中は表に出てこない。他人がやった不正を組織防衛する佐川、同じく他人の不正をなぜ自分がと抵抗をしつつも下達に飲み込まれた赤木氏。

両者とも下手人でないが故に、ある意味それぞれの「正義」に立脚した気配が感じられる。

その意味では佐川も「真面目な官僚」といえる。

問題は、特捜が事件も下手人を把握しながら不起訴にし、財務省が下手人達は配転昇格させ、政権が佐川を栄転させて、赤木氏だけそのまま残置したことだ。赤木氏は実行者としての範囲で告発しているので間違いではないが、本質は別にある。

赤木氏の経歴をみると、立命館大二部を卒業後、国鉄に入り、民営化のリストラ対象、それで岡山財務局へ再就職。
ノンキャリなのだ。
官僚の階級支配は信じられないほど過酷な身分制が維持されている。
クルーズ船コロナの現場へ投入させたのはノンキャリや出向組だ。いやな仕事はノンキャリ

赤木氏の直属上司は後輩であったように、中途採用ノンキャリは、赤木氏のような優秀で良心的なブロであっても、出世も遅れ粗雑に扱うことを「人事制度」にしている。

彼が移動時期に、皆と同様に異動希望を出していたが彼だけ残された。
人事的に下手人が誰だったか分からないようにして、書類は完全廃棄して幕引きにした。
しかし赤木氏だけは、罪の意識を払しょくできないままの環境に残されたのだ。
この、孤独感と特捜に追われる危機感は、精神を蝕み、自死にいたった。
組織にいたものなら、赤木氏の絶望と孤独感はよくわかるだろう。
移動がかなっていたら、精神を病むこともなかったかもしれない。

この経緯は、赤木氏が事実として名指ししている個々人の問題を超えて、
官僚の未だに持つ病巣が一気に噴き出し、赤木氏に集中した組織問題である。
しかもただの組織問題ではなく、構造的に、組織優先かつ職務に忠実になることが官僚としての有能さだと思っている人達、すなわち佐川らは組織防衛、赤木氏は記録保持、ともに官僚としては「是」なのである。いわばそれぞれの「正義」であり、官僚内部では等価なのである。両方ともに官僚原則なのである。
ただ赤木氏が官僚原則として一般的には普遍性をもつ。しかしおそらく内部では、佐川の組織防衛が記録保持より重要なものとして作用したはずだ。
この官僚の生態は、財務省だけではないだろう。省庁の組織防衛と利権拡大は、新人の頃からたたき込まれる絶対的な所作なのである。

まして佐川が安倍官邸から密命を帯びていれば、なおさら佐川に強い使命感で、前任局長らが犯した間違いを正して官邸の信頼回復に努めなければならなかったはずだ。(安値売却は財務省が官邸から直接の命令がなかった、あくまで忖度であって、結果的に財務省の落ち度となったことを物語る。しかし昭恵夫人が官邸内に机と秘書を持っていたことを考えれば、官邸の命令といえないこともないが。)

直接の下手人でない佐川と赤木氏が、表面に出て、下手人たちは組織のなかに紛れて闇に消えた。

赤木氏が、内部では死んで近畿財務局を救ったと言われている理由がよく解ったような気がする。

この事件の本質は、アーレントのいう「凡庸な悪」だといっていい。