厚労省(LINE)のアンケートのピンボケ、安倍コロナ対策に殺される恐怖の日常。

今日も東京は感染者が100人を超えたそうだ。いよいよ大変なフェーズに入った。

LINEから二回目の厚労省アンケートがきた。
内容は一回目と同じ、ピンボケ。

今日も近所を散歩し、隣の客のこないカフェを書斎替わりに沈潜している。

住宅地だから、普段でも散歩しても10人も会うか会わないか程度の静まり返った町だ。

人間の代わりに桜がにぎやかに咲き誇っている。

こういう光景も、あと10回も観れたら恩の字かなどと頭をよぎる。

死んでも、この桜並木は、毎年咲き誇る。

こういう自己の存在と別に、永遠の景物が「客観的」に残るという意識は、あくまで主観的意識体験によるものだという主客問題を納得したのは、恥ずかしいが50も近い頃であった。

同じく有名なエリオットも知らなかった。
政治社会に全く関心をもたない、文学青年たちが耽読していたこともあり名前を聞いただけで寒気がした。

市民社会内には、軋轢となる諸階層、諸集団が

「多ければ多いほど、あらゆる人間が何らかの点において

他のあらゆる人間の同盟者となり、

他の何らかの点においては敵対者となり、

かくしてはじめて単に一種の闘争、嫉視、恐怖のみが他のすべ

てを支配するという危険から脱却することが可能となるのであります。
(略)
一国の文明が繁栄するためには、統一されすぎてもまた分割されすぎてもいけない。(略)

過度の統一は野蛮に起因する場合が多く、それは結局、圧制に

導く可能性があり、

過度の分割は頽廃に起因する場合が多く、

これもまた圧制に導く可能性があります。」
(文化の定義のための覚書)

改めて納得するが、しかし、

このエリオットの箴言も、コミュニケーションのテーブルが基盤として存在する場合ではないか。

世界を席巻するウィルスは、ひょっとして過度に分割され、コミュニケーションのテーブルさえも壊

された世界的な先進諸国のあり様を、天が縫合するために遣わした「天使」なのかもしれない、など

と思ったりもしているのだが、

恐怖の中の思考は、正常ではないことは確かだから、

「あなた」には失笑されていることだろう。

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いつもの散歩道

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感染者のでた店