防衛とパンデミックを混同する改憲「緊急事態条項」は味噌糞一緒

山梨県の20代女性の乱行は、一種の傷害罪に相当する。

こうした事例を盾にした改憲の「緊急事態時要項」は意味をもたない、的外れだし、国民のためにはならない。

しかし、近代国家である限り、「自粛要請」という道徳ないし同調圧力による国民同士の監視社会ではなく、

法治国家であるべきだと思っている。
もちろんカント的な道徳性は基底としてもっている社会。

やはりバラバラ中途半端の法律を「パンデミツク法」として整備すべきだと思う。

防衛とパンデミックを混同する「緊急事態条項」は味噌糞一緒。

しかしただ反権力を叫び、護憲だけ叫んでいても、生活過程にある庶民には共感を得られないだろう。何しろ真っ先にエリート・パニックを起こすくらいなのだから。
これを機会にとったアンケートは、NHKと朝日に二極化されているが、総合的に見て護憲/改憲は拮抗しているとみておくのが間違いのない処だろう。
しかし今の国民の劣化状況から、改憲は今後ますます増えてくるように推測できる。

加藤典洋が「有限性の近代」とカテゴライズした問題はこういうパンデミツクも含まれているのだと、改めて気づかされる。

反権力の視座から、後期近代の生存条件そのものに転換がなされなければ、反権力さえも意味をもたない時代にはいったといえる。

吉本隆明は、近代の後は、「アジア的」か「古代的」社会になる可能性を示唆していたが、このパンデミックは信憑性を予感させるものでもある。

もちろん過去歴史的事実としての意味ではなく、近代を内包しつつ高度の「アジア的」か「古代的」であることはいうまでもない。つまりアトミック化が実体化された社会から、共同性を取り戻すという意味であろう。

イメージとしては、繋がりつつも、まだ論述できないもどかしさがあるが、フェーズは明らかに変わった。