ロシアのウクライナ侵略ー他人の不幸は蜜の味としていないか?

他者の不幸は蜜の味、ツイッターでもどこでも、他人ごとですから自分の国際情勢の読みを自慢げに展開しています。
自分がどれほどの情報通であるか、自慢するのだが、つまるところはプーチンとバイデンのどちらが悪い奴というレベルに落ち着く。
どちらが謀略を仕掛けたか、どちらが被害者か、背景にどこが動いているか、陰謀論のたぐいである。
私たちは、少なくともベトナム戦争が米国の謀略であるトンキンワン事件を引き金にしたこと、
南米諸国の反米政権に対して、CIAの謀略工作で親米政権を樹立してきたこと、
湾岸戦争では、イラン叩きのため、イラクフセインに米国ほかヨーロッパ諸国が、大量に武器を売りつけ、結果フセインは過剰となった武器を持て余してクウェートへ侵略したこと、
その折油まみれの水鳥の写真を使って、油田破壊のイラク殲滅を世界に訴えて騙されたこと、
アフガンではロシアが侵攻し、米国がのちに占領したが、日本のように民主化などできぬまま、自由を求め米国に協力した人々をほったらかして米軍は撤退した。
こうした米国のウクライナへの同様の工作が目に余り、プーチンNato加入を憂慮した結果でやむにやまれぬ侵攻だとか、
ロシアを怒らせたせいだとか、つまるところ米国かロシアか、どちらが悪いかといった喧嘩のレベルに論点が中心化してしまっている。
大国が、謀略工作を絶えず仕掛け、身勝手であるのは今に始まったことではない。
しかし第二次大戦から私たちが得た教訓は、国連憲章日本国憲法に集約されているはずです。
自衛権の範囲だとか、先制攻撃の事例だとか、それらはチシキジンや政治家や官僚のもので、どうでもいいことなのです。
庶民は、他国が侵略してきたら、当然闘うでしょう。
パトリオティズムとしての愛国心から抵抗するでしょう。
それゆえに逆にいえば、庶民は、憲法の法律的な解釈ではなくて、自国の軍隊を現実に他国に侵略させることはいけないことだと考えるでしょう。
21Cに、私たちがどのように戦争を阻止するかは、むつかしい法律論や金融論やナショナリズムではないのです。
唯一のテーゼは、いかなる理由があろうとも自国の正規軍を他国にいれないという、現実的で単純な原理だけなのです。
その意味で、今回のロシアは即時軍を撤退させるべきでしょう。