岸田クソ政権は、沈黙を通し、相変わらず米国の核の傘を「妄信」している。
いまやロシアの核使用の恫喝にたじろぎ、米国はほとんど世界の警察国家になりえなくなった。
その最大の原因が、米国の核開発の停止と最新の限定戦術核でロシアに大幅な遅れをとっているからだ。
ロシアは軍備開発費の劣勢を、戦術核に的を絞り今や世界一の核大国だ。
さて、こうなると、リベラル派は総崩れだ。
エマニエル・トツドでさえも、「日本は核を持て」とアドバイスしてくる。
吉本隆明は言った、
「国民のもし攻められたらどうする」という素朴な不安に、説得的でない戦争反対や核兵器廃絶論は、無効であると。
単純にして、明快でなければ大衆は理解しにくいだろう。
昔より「映像」が発達したので、映像に頼るのもいいだろう。
しかし、核の悲惨さが強ければ強いほど、大衆は恐怖も強くし、「攻められたら」どうするのか?とより性急に問うだろう。
孫崎は、ウクライナで日本の平和論者は敗北した、と私と同じことを言っていたが、そこまでは同感である。
孫崎の理由は、どうするかについてリベラル派は何も言えていない、国会でも支援のみで与野党同調してしまった。
外交こそが抑止であり、どういう外交をしなければならないかが全く語られなかったと。
私はそれもそうだが、外交に失敗したから戦争になったというクラウゼビッツの言い方に習えば、外交が万能ではないと思う。
すなわち、従来の核抑止論は転倒した形で有効化されてしまった。核保有国が、核=現実的に使える戦術核をちらつかせながら、敵国へ通常兵器で攻撃する。核にやられるのではなく、核によって通常兵器での戦争を思う存分遂行できる結果をもたらしているのである。
このことが日本の平和論者たちは不都合な真実のため、見ないようにしている。
孫崎同様日本の平和論者の情緒性が敗北したことは共有するが、
私は孫崎と別れて、またトッドのような現実論とも別れて、もう少し「リアリズムとしての平和論」を提案する。
私の「リアリズムとしての平和論」を夢物語だと笑うものには、カントのいう「永遠平和」は永遠に手にすることは不可能だろう。
思想誌『飢餓陣営』55号『「ウクライナ戦争」と日本の論評についてーリベラル派の言論を撃つ』8月下旬発行、「郵便振り替え00160 4 184978 飢餓陣営発行所」宛に、代金、税、送料、合わせて、1,850円、をお送りくだい。