久しぶりに感動した、
シアターから帰る途中、全く記憶を失くしている。そのまま映画の世界を出られずに没入していたのだ。
この圧倒的な迫力と崇高な感情はこれを書いている夜中まで続いている。
もう五、六年前に上京した折、太田昌国さんと会うと、今上映中の「チリ革命」がいいよと紹介され、渋谷道玄坂のミニシアターまで観に行ったことがある。このときの「チリ革命」以来であった。
同様に長い映画で、4時間坐骨神経痛を抱えながら頑張った。
セルゲイ・ロズニツァ監督の「ミスター・ランズベルギス」。
アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭最優秀賞受賞作品。
ミスター・ランズベルギスとは、誰だ。
ミスターに込められた意味は、ソ連属国時代は、みな同士と呼び合った習慣に対してのミスターと呼び合うことで自由を求める人々の抵抗の意味を込めたもののようだ。
経過の詳細は長くなるし、既にご存じの方も多いと思うので、感想のみメモする。
その民衆の代表が音楽教授のランズベルギス。政治家でもなんでもない。(ゼレンスキーをコメディアンと嘲笑する親露派はしるべし、だ)
その街頭を埋め尽くす200とも300万人ともいう民衆のデモと衝突の臨場感は、息を呑む。
ソ連軍の威圧侵攻が本格的な制圧侵略に変わって、民衆が銃弾に倒れ、最高会議が包囲されたとき、改革派は会議場に詰めかけた民衆の中から、即席の義勇軍を結成し、バリケードを作って戦闘に入った。若者が次々に手上げて軍人認定されていく重く決死の場面は、われらが世代はきっと東大安田講堂の「戦士」を連想しただろう。
ランズベルギスの巧みなところは、即座にクーデター派を非難、改革派のエリツィンを支持表明。
エリツィンとの交渉で相互承認の条約を確定できたのは、3年がたっていた。
91年ベルリンの壁が崩壊。
明かにリトアニアの歴史的独立闘争である。
つまり米国とソ連の代理戦争をしたのだろうか?
まあウクライナ戦争で、そんな「物語」をしたり顔でロシア擁護をしている人は、この映画を観てみたらいい。
一貫として小生が批判しているこうした人たちの民衆という座標軸を欠いた戦争観は、根底的に修正されるだろう。
ランズベルギスは語っている。
ソ連軍の会議場包囲のとき怖くなかったですか、という質問にこう答えている。
人びとが殺害されていると報告が来た、本当に何人がしんでいるのか解らない、胸がいたんだ。しかし退いたら国民を裏切ることに成る、私は国民に託されているだけなのだからと。
これに呼応するような民衆側の感動的な言葉は、バリケードをつくつている若者の言葉だ。
警察官が、「こんなところに置いたら通行の邪魔になる、責任者は誰だ?」と威嚇する。
すると若者は「群衆さ」と!!
革命とはそういう状況がリーダーとマルチチュードの関係性として出来上がったときだろう。
また私が羨ましく思ったのは、リトアニア民衆は、集まれば100万人単位の合唱が起きる。いつでも歌う自分たちの国歌をもっているのだ。歌詞がまた国民と末裔に伝えるいい歌詞だ。
今考えれば、私たちの若い時インターナショナルだとか国際学連の歌とか歌ってたが、スターリニズムの歌ではないか、恥ずかしい。
日本には国民的に歌える連帯と抵抗の歌がないのだ。
結局独立も抵抗も志さない人々ということになる。