俳愚人 blog

無名著述家、無名俳人、著書数冊

情動を排除する教養主義的「原爆を語り継ぐ」品の良い表現が危機そのものである❣

8月の風物詩にしたくない、毎年8月が来ると私は語り継ぐというキャッチコピーを見るとどこか腹立たしさを覚える。
語り継ぐだけで、戦争も反核もなくなればそんなに容易い話はないと思ってきた。
NHKの今夜の特集は貴重だとは思ったが、あまりに品よく教養的にまとめられてピンとこない。
ナレーションは「一瞬にして街は破壊され人々の生活も破壊されたのです」と述べるが、「10万人の生命が奪われた」とは言わない。
ドキュメンタリーとして、映像とナレーションは丹念に生き残った87人の検証をするが、これも物的なCGで破壊を描くが、人は全く出てこない。
 それだけCGを駆使するなら、生き残り証人の見た生々しい死者の群れを、これこそCGにして具現化すればはるかに原爆の恐ろしさを訴求できただろうに。
ネットの記事への批評コメントは、日に日に日本語としてもはや成り立たないまでに侮辱ワードとAIが排除する。批評が批評文にならない、精神の抜き取りが常態化している。
にもかかわらず、SNSではリアルの人権侵害、侮辱が何の規制もないまま放置され、言論の萎縮に繋がっている。
この奇妙な言論空間を打破するのは、CGによるリアルな人間の五体バラバラや、黒焦げでへばりついた人体や口から内臓を吐き出し、目玉が飛び出て血まみれの人間などあらゆる人間破壊を描くべきではないか。
語り継いでも、原爆を知らない世代に、どのように伝えるか、もう一度考えた方がよい。
外国人ツーリストが原爆祈念館を訪れ、はじめて視覚的に遺品をみて涙することを知るべきだ。
品よく人間の情動を遠ざける風潮は、
語り継がない以上に忘却の淵に沈むだろう。